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メイドインアビス 烈日の黄金郷のmegurosのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

セカンドシーズン、深界六層で新しい追加キャラたくさんだな!と思ってみていたら、既に皆さん人の姿を留めていないと気付きまず驚愕。深界六層ともなると人間の悲劇も色濃く、人間社会の闇が深く反映されたストーリーは抽象度が高くなっていた。

食糧が尽き、湧いていた水を啜ると原因不明の病気にかかる前半は、正に戦中の前線における日本兵の末路が思い浮かぶ。汚れた水で赤痢になり、仲間を食べる。生き残ったイルミューイの子供ファプタはその復讐こそが宿願となるわけだが、食べた者たちもまた自責の念に駆られており、自分の身をファプタに差し出すことで贖罪を得る展開は、ファンタジーだからこそ成し遂げられた。

ここに価値の交換こそが、我々の社会を、そしてそこに生きる人々の関係性作っていることが見える。かつて途方もない冒険を目指した者たちは人の姿を捨て、なれ果ての村に囚われて価値の交換を通じて生きながらえているが、これは私たちの姿そのものだろう。

メイドインアビスにおける冒険家は明らかに登山家がモチーフになっていると思われるが、この「烈日」では、なぜ危険を犯してまで大穴に潜るのか?が問われる。そして、私たちは誰しも途方もない冒険を志していたのではないか?と問いかけられる。

今までの友人関係、自分の命までも差し出してその交換にどんな価値を得るのか?今作では冒頭に「誰も見つけたことのない光は闇の中にある」と語られるが、地上の現実に光を見つけられなかった者こそが、暗闇の向こうに光を求め、その光こそが黄金であり、黄金郷と呼ばれるものの正体であろう。リコたちは冒険を共にする仲間の中にすでに黄金を見つけているとも言える。

また、ワズキャンのエピソードからは、その闇の向こうにある誰も見たことない光を求めるにあたっては、自分1人で成し遂げるものでもないということも伺える。「人以上のものになる」や「積み重ね」といったセリフからは、自ら冒険の一部となることで人の一生を超え、後進を助けることで歴史が作られてきたこれまでの人類の歩みにも思いが馳せられる。

続きはどんな話になるのだろうか?恐らく次は最終盤の話になるのだろうが、全くラストが想像できない。
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