mizuki

コタローは1人暮らしのmizukiのレビュー・感想・評価

コタローは1人暮らし(2022年製作のアニメ)
4.7
社会的に「悲惨な過去」だとされる過去を持っていたとしても、「可哀想な人」というくくり方が向いていない人もいるんだよ、ということをポップに主張するという、尖った試みをしているアニメだったと思う。コタローは過去に親の育児放棄により施設で暮らしていた、いわゆる「可哀想」な5歳の男の子。「強くなるために一人暮らしをしている」という。さすがに周りの住人が気になって、サポートし始める。周りの人間も、実はみんな色々あった人たちで、自分の二の舞にならないよう、思い思いの行動をする。ああ、そういう場合はこういうこと言うと、この子の場合傷つくかなあとか、何手先も想像して、かといって厚かましく想像しすぎることはなく、等身大で言葉をかけていてほんと優しいなあと思った。特に狩野。気を遣わせない努力。私にとっても、日頃の一番の課題です。全ての大人に気を遣ってしまう子が、生意気を言える存在は大きい。

子どもでもちゃんと考えてるし、生命力だってある。でもやはり子どもは体が小さいし、どうしても経済力に欠けるし、弱い立場。ものすごい早さで成長していけるエネルギーを持っていると共に、儚い存在でもある。そのちぐはぐさを、周りの大人は理解すべきだと思う。狩野をはじめとする、このアニメに出てくる大人みたいに。小さいし経験値が無いから無力、って思うのはあまりにも安直すぎる。年少者から教えられることも多いし。
その子の力を信じてあげることが大事で、やってあげるのではなく、基本何でもやらせてあげる。やばそうな時はその子が「自分の力でできた」って錯覚できるくらい、さりげなく手を貸す。成功体験を積むのが大事。BUMP OF CHICKENの『なないろ』という曲中に、"躓いて転んだ時は 教えるよ 起き方を知っている事"という歌詞がある。安易に手を貸して起き上がらせる(何でもかんでも助けてあげる)より、起き上がる力があることをわかっていて、起き上がるところを見守る方が、信じてるって感じがする。


私も、どちらかと言うと「悲惨な過去」を持っている方の人間と言っていいのかな…「可哀想」と言われるのも大嫌いだから、かなり共感しながら観た。親が子供嫌いなのも同じ、あと、生まれてから小学校に上がるくらいまで、事あるごとに叩かれるのが日常だった。二十歳を超えたくらいの時、その状況は「虐待」と呼ぶんだ、と認識した(「虐待」という社会問題より、最近の「ヤングケアラー」の方が近いかもだけど)。コタローもそうだと思うけど、私にとっても、当時の思い出は「悲惨な過去」という一言で語れるものではない。父の仕事が忙しい時期だったから母が育児のほぼ全てを任されていて、核家族だから頼れる人もいなくて、友達は全くいなくて、たぶん産後うつを5年くらい引きずっていて、しょうがなかった。いつも二人だったから、危ういほどに依存し合う関係性だったと思う。母とは多くの時間を過ごすことができた。『ルーム』という映画を観た時に閉塞感と美しさが似ているなあと思った。楽しいことも悲しいことも全て共有する、美しい空間だった。嬉しいとたくさん抱きしめ、キスしてもらった。何かこぼしてしまったり、ご飯を食べるのが遅かったり、吐いたりしたりして母をイライラさせると叩かれた。だから、叩かれるのは自分が悪い子だからいけないんだと、ただそれしか思っていなかった。それに対して悲しかったとか辛かったとかいう感情はない。それが私たちの当たり前だったから。まあ、怒ってる時の母は怖かったけど。今思うと、れっきとしたDV。しつけの度は越していたかな。自分がもっと手のかからない子だったら母はイライラしないんだ・しなかったんだと、考える必要がないと気づいたのは二十歳を過ぎてから。もっと親に気を遣わずに育ちたかったって、恨んだ時期はあったけど、今は割と納得できていると思う。思ったことを言えるようになったから。
両親は、キラキラした楽しいことはたくさん教えてくれる。刺激的な人間。いい本、映画、音楽、美味しい食べ物、お酒、たくさんの魅力的なものと、その楽しみ方を教えてくれる。でも、教育者としては向いてないのかな。自分の怒りたい時に怒るし、とにかく自分本位。人間味があって面白い大人で、楽観的思考はたくさん教えてくれた。その代償として、たくさん振り回されてきた。二人とも少年であり少女のまま大人になった。まあ、言うなればガキなんだよね。親が親でよかったと今は思うことができるけど、心配なのは年の離れた兄弟。現時点で、親は兄弟にたくさんズレたことを言っている。今言うべきじゃないだろってことを平気で言う。私も同じことを言われ、真に受けてしまった。それはかなり辛かったのかな、自覚はなかったけど、気づいたら慢性的にじんましん出てたりね…。だから、兄弟には同じ思いをしてほしくない。親を恨むことがない方法で、あまり真に受けなくていいんだよ、ということを伝えていきたい。
私は、もう子どもを産んでもおかしくない歳。周りの友人も同じことを言ってるけど、母性が出てきてるのか、近頃小さい子が可愛くて仕方ないし、無性に守ってあげたくなる(笑)(「男はいらないけど、とりあえず子どもは欲しい」とマジでみんな言っている)だから兄弟には、必要があれば自分の判断で色々教えてあげたいと思う。自分が「こうして欲しかった」って思うことだから、私のエゴでしかないけど。でも、なるべくその子がその子らしくいられるように、協力したい。海ってなんで青いの?とか最初の人間ってどうやって産まれたの?とか踏切ってどういう仕組みで開いたり降りたりしてるの?とか、なんでがたくさんあるのでまずは一緒に考えてあげるまたは調べるよう促したり、必ず「あなたはどう考えてるの?」って聞いてあげたり。狩野も言ってたけど、親じゃないからか、こういうことを聞かれて考えているところを見るのは、面白くて仕方ない。あと、何か相談された時は一緒に悲しむのではなく(ミッドサマー方式ではなく)、まずはこちらが冷静な態度で状況を一緒に整理したり。とにかく、話を最後まで聴いてあげようと思う。
忘れてはいけないのは、人を教育するのは血の繋がりのある人間だけではないということだと思う。私もそうだったけど、友人や教師から教えられることも本当に多い。特に愛については、親からももちろん教えてもらったけど、他人から教えてもらったことの方が多い気もする(親は不器用なので、器用な他人の方が教えるのが上手い)…。だから、親や姉が全てを教えようとするのは重荷だと思う。どうせ外でも学んでくるから、とにかく生意気言ってもわがまま言っても嫌いになったりしない、とわかってもらうことの方が大事な気がする。絶対的味方であることをわかってもらうことと、その子の考えを尊重するに尽きるかなと。まあ兄弟じゃなくても、大事な他人においても、それは一緒なんだけど。
mizuki

mizuki