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機動戦士ガンダム 水星の魔女のodamakinyanのレビュー・感想・評価

機動戦士ガンダム 水星の魔女(2022年製作のアニメ)
3.8
まずこれは私の持論ですが、ガンダムシリーズでテレビ放映のものは、ある世代に向けての富野監督らのメッセージのようなものが盛り込まれていると思います。それはその世代の家族構成や育成の歴史 社会構成などの世代論です。それは私の見たところどうもよく言われている若者世代ではなくて、子育てを終えた私のような60手前の還暦に近い世代の人々に向けたメッセージです。思えばファーストガンダムは戦前派の人々に向けたものであり、Zガンダムは昭和一桁の50年安保世代、ガンダムWは60年安保世代、ガンダム00は70年安保世代、そして今回の水星の魔女は80年ニュータイプ世代です。それぞれの登場人物たちの家族構成や、クルーとの関係性、上司や親との人間関係の軋轢がまさに、その世代に特有のものとして構成されています。具体的に言うとファーストではまさに戦争の渦中にあるという描写であること、またZガンダムでは共産党などの政権党派の動向に左右されて動くこと、またガンダムWではややのどかで文芸的な闘争劇であること、そしてガンダム00では左翼の突出した人物により密命で動くという設定、それらは青春時代にそのような社会と政治的闘争の渦中にいたというその世代特有のものであります。さて、では水星の魔女はどういう作品なのか。それは私たち世代の話になりますが、まさに上記の世代の親を持った子供たちの物語であるということです。アステカシア学園の設定を見たらわかると思いますが、上記に書かれたような政治的な闘争部分は見事に蓋をされています。それはそのような政治の季節が終わりを告げた80年代初頭にあった風景です。その代わりに登場したのが、いかに三高の男性を射止めるかというような、結婚を前提にしたおつきあいでありました。それがこの物語の冒頭にある、ミオリネの花婿を誰にするか決闘で選ぶという趣向です。しかもそれも大企業の御曹司という設定で、あの時代にもてはやされた事例でありました。

しかしその後の展開で、戦争の部分が出てきますが、それもファーストの頃の描かれ方とはまったく異なります。ごく普通の人間が出会う災難という形で描かれているそれは、やはり現代の風景なのです。スレッタがはっきりした敵意もなく人間を殺してしまう描写は、言うなれば交通事故のようなもので、現代では戦争という特別な非常事態がなくても簡単に人が死んでしまうという意味で描かれたものなのです。交通事故というのは言い過ぎだったかもしれませんが、おそらく二期では、そういった心理的なフォローが視聴者に対して入るのではないでしょうか。そのような現代社会の持つ危うさは、やはり80年代頃から顕著になってきたように私も思います。おそらくその頃に私たちの社会は何かに変質を遂げたのです。つまり微弱な人でも特に政治的信条もなく、物理的に人を殺せる時代になったということです。

おそらく多くの人が感じているスレッタと母親との関係の欺瞞性も、そういった現代社会の持つ表層的な部分では温和なのに、その実内情はどろどろしているという上辺だけは美しい社会というテーマに基づいて出されているように思います。結局「母がしんどい」などの毒親告発本がいろいろ出されても、親たち世代には決して勝てない私たち子供世代の哀れさ、そしてその滑稽さがこの作品のテーマではないでしょうか?上の世代の富野監督らから見た私たち世代の、そういった卑小さがあますところなく描かれた、これはそうした作品なのだと思います。上記の作品群のように明確なイデオロギーもなしに、ただ親から褒められたい一心で戦いをするスレッタは、イデオロギー闘争に青春時代を明け暮れた上の世代からすれば、唾棄すべき存在なのでしょう。それゆえの魔女という呼び名です。水星というのも水性に通じていて、お水っぽい感じだということです。私たち世代が親の言うことを素直に聞き、反抗的な権力闘争に参加しなかったこと、それについては決して認められることはないのです。「あなたは人に褒められたいからエヴァに乗っているの?」というのはあのエヴァンゲリオンでも出されていたセリフでした。おそらく今後のあらすじも、スレッタは母親の操り人形であることで袋小路に入る描写になり、それは決して明るいものではなくなるだろうと思います。イデオロギーを何も持たず、親の言うままに動いた私たち世代に対する、それが上の世代たちの評価であるということなのです。「親の良い子」であったことは実は彼らには生き方として認められないことなのです。それは彼らが青春時代に「親の良い子」ではなかったからです。果たして水星の魔女ではこのレトリックまで描かれるだろうかと思いますが、そういうことです。

末尾になりましたが、では最近の話題作の鉄血はどの世代に向けてかというと、それは私らニュータイプオタク世代の少し上の、竹の子族世代の人々に向けてのものです。70年安保世代とオタク世代のはざまにあった彼らは、暴走族活動にいそしんだ不良グループ世代ということです。だからまさに鉄血は、そうした暴走族グループの話だったのだと思います。
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