やまもとしょういち

魔法少女まどか☆マギカのやまもとしょういちのレビュー・感想・評価

魔法少女まどか☆マギカ(2011年製作のアニメ)
4.3
まず、14歳の少女に宇宙の過去・現在・未来を託す(そして聖母として崇める)という、あまりにもな物語は正直めちゃくちゃキモいし、まず監督、脚本、シリーズ構成がいずれも男性の手によるものという点で構造的にもかなり厳しいものがある。

仮にそういった点と切り離して本作を語ってもよいのだとすれば、これは『新世紀エヴァンゲリオン』以降でもっとも社会批評的な作品だったのではないかと感じた。そして、本作が2011年1月から東日本大震災を跨いで放送されたことは、まったく望んでいなかったであろう形で作品の持つ意味を一層深めてしまったとも思う。

製作陣がどれくらい意識していたかは知らないが、自ら「奇跡」を願った対価として魔法少女になる14歳の少女たちは、生まれながらにしてエヴァンゲリオンに乗ることを宿命づけられた14歳の碇少年と対の関係として見ることができるし、実際私はそうやって本作を見た。碇少年は理不尽によって戦うことを強いられたが、魔法少女たちはすべて奇跡の代償として戦う。そこに魔法少女たちの主体性を読み取ることは当然できるし、同時に強烈な自己責任論も横たわっている。

その残酷さ、新自由主義的な思想がもたらす「歪み」をまだ私たちの社会は乗り越えることができていないし、キュゥべえの論理展開を否定するに足るだけのヒューマニティも私は持ち合わせていない。「絶望」と言ってしまえばあまりに簡単だが、いま私たちが生きる人間社会が孕む矛盾、持続不可能性を先取りして提示し続けられるような恐怖感があった。それを乗り越えようと自らを犠牲にした鹿目まどかの「友愛」の心のようなもの(つまり魔法少女同士のシスターフッド)がテーマなのだとしても、相当過酷な物語でかなり考えさせられた。