KengoTerazono

ひろがるスカイ!プリキュアのKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

ひろがるスカイ!プリキュア(2023年製作のアニメ)
-
ヒロイックな像を強調することで、悪い方向に向かってしまった。中期のシリーズの傾向に逆戻りした感もある。ヒーローという本来男性に使う言葉を女性に使うことで、確かにヒーローという言葉そのものにズレが生じるし、プリキュアという戦闘ヒロインに男性がなることで、プリキュア自体もズレが生じる。それは大変結構なことで、新しい可能性に開かれているが、そこに入り込んでいる男性性に引っ張られすぎた作品だと感じた。

プリキュアはそのシリーズの長さからノスタルジー性を獲得し、そのデータベース消費的な体系を完全なものにして久しい。親密なものに包まれ居心地のいい世界でありながらも、その世界を破壊しようとする何かに揺さぶられ、それでもなお自らの世界を守ろうとするところにプリキュアの核はある。このシリーズも基本的にはそうだった。だが、いかんせん物足りない。世界の維持がかくも簡単に行われてしまっては、世界は全く「広がらない」。その全能感は危機に瀕してこそ、自助努力して守ろうと思えるのだ。このシリーズはただ楽しいだけで終わらそうとしている気がする。そこに子供向けという言い訳は通用しないだろう。敵に自分たちの価値観を押し付けて自分たちの強さは力じゃないことを力でもって証明する形で脅威を排除することは、本当に「子供向け」なのだろうか。これは自分たちの世界を守るための自助努力としての暴力(キックやパンチや必殺技)の話ではない。他者に対する眼差しの話だ。理解できない者、あるいは利害が明らかに対立する者同士が分かり合えないまますれ違う初代や『魔法使いプリキュア』、『ヒーリングっどプリキュア』は個が集団を上回るところにクライマックスがあり、それがひいては集団を導くところに感動する。だが、このシリーズでは他者をこちら側に引き摺り下ろしているようで、嫌気がさす。これではヒーローの全能感に酔いしれているだけではないか。自助努力というより、もっとそれを加速させた自己責任の世界を見せられた気がしてならない。

『HUGっと!プリキュア』の敵役たちは、プリキュアたちの世界が都合のいい親密なものであるということに気づきながらも、その世界に身を置くことを決めていた。その片鱗がみえたのはバッタモンダの改心回だったが、彼が悪役だった際、プリキュアたちから「そこを動いたら許さない」というヒロイックな暴力性を受けていたことも忘れてはならない。

ただ家族像の追求に関しては一定の評価はする。いかにホモソーシャルなコミュニティで家族を形作るかは、プリキュアがシリーズを通してずっとやっていたことだった。例えば『魔法使いプリキュア』ではホモソーシャルな核家族がプリキュアだった。『まほプリ』の場合、最初のプリキュア2人が母親役でその後の追加戦士が子どもという、同性愛的なセクシャリティが滲み出ずにはいられない家族だった。一方このシリーズでは、大人の保育士を入れたことでそれが単なるごっこ遊びではなくなり、男性も女性のホモソーシャルな枠組みに絡め取られることで、性的に去勢された家族愛を描こうとしていた。
KengoTerazono

KengoTerazono