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けいおん!!のEegikのネタバレレビュー・内容・結末

けいおん!!(2010年製作のアニメ)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

アニメ『けいおん』はこの2期からが本番だったんですね~ なぜ『けいおん』が深夜アニメの最高傑作とか言われるほどの存在なのか、放送から14年越しにようやく知ることができました。

以下、いくつかの回の感想メモ


第1話「3年生!」
体育館での始業式への行き返りの渡り廊下で桜の花びらをしゃがんで拾う唯。ここの引き固定カメラ長回しの山田尚子感よ。やっぱりこういうところ山田尚子は細田守から影響を受けてるのだろう。
オープニング曲「GO GO MANIAC」がヤバい。曲も映像もすごすぎる。これ放送当時の衝撃はとんでもなかっただろうなぁ

第4話「修学旅行!」
楽しい「修学旅行回」を作ろうとしているのではなくて、ひたすらに、「修学旅行を楽しむ唯たち」の姿を描くことに心血を注いでいる。すさまじい。
公共の場ではしゃぐなど、〈社会〉の迷惑になる行動をしまくっているが、若者はそれでいい(し、特に『けいおん』では学校空間こそが世界であり社会なのだから、なおさら)。教師はそれをちゃんと取り締まって教育しなくてはいけないけど。
宿での消灯後にお調子者(律)がボソッと言葉を発してクスクス笑わせるノリ懐かし~~。
京都市街の風景美術もえげつない。

第5話
3年生が修学旅行にいっているあいだの梓や憂たち2年生ズを描いた回。天才



第16話「先輩!」
神回

第20話「またまた学園祭!」
放課後ティータイム最高!!!
舞台上のHTTのライブ演奏そのものではなく、むしろ彼女らに歓声を送る周りの人々(クラスメイトたち、和ちゃん、先生etc.)を映し続ける。唯たちがいかに学校のみんなに愛されているかを描き続ける。きわめて明確な演出意図。『けいおん』は本質的に音楽・バンドアニメではない。あくまで「学園アニメ」、「学校生活」を主題とした作品である。限りのある、いつか終わりの来る「日常」の輝きを。1期から数えて3回も学園祭ライブを描いた意義がここにある。(今思ったが、「学園祭」という単語は、それ自体、「学園」という限られた時空間を祝祭的に描こうとしている本作を象徴する言葉でもある・・・。)

今回、定番曲「ふわふわ時間」のほかに新曲「ごはんはおかず」と「U&I」が披露された。・・・これは1期から感じていたが、正直いって、じぶんはこれらの放課後ティータイムの曲は単体の音楽としてはそれほど好みではない。曲としてダントツで好きなのは2期OP「GO! GO! MANIAC」である。要はアニメ本編で演奏される、高校生である唯たち放課後ティータイムの「じっさいの」曲はそれほど刺さらず、OPやEDのほうが曲としては断然良い。
だが、わたしはこの第20話のライブで、「U&I」でとても感動した。それは、放課後ティータイムというバンドのライブ演奏を観て感動したのではなく、『けいおん!!』というアニメ作品を観て感動したということだ。
わたしは、作中で実際に演奏されるHTTの曲がそんなに好みではなくて良かったとさえ思っている。上述のとおり、わたしにとってアニメ『けいおん』は音楽バンドアニメではなく学園青春アニメである。だから、作中の「放課後ティータイム」を音楽バンドとして好きになってしまったら、むしろここがブレるのだ。「ふわふわ時間」や「U&I」が曲単体ではそんなに刺さらないからこそ、わたしは放課後ティータイムを、彼女たちをとても愛おしく思う。この『けいおん』という作品が好ましいと思う。そして、ひとたびアニメ本編を離れた、やや異なる位置付けである、OP/EDを演奏する放課後ティータイムをこそめちゃくちゃいかしたロックバンドだと感じられることもまた、わたしにとっては心地よい。「ほんとうの」唯たちはこうではないのだ。OPやEDの曲調やMVの方向性を、本編での放課後ティータイムとは全く異なるものにしているのには、そういう効果がある。

2期の実質的な主人公は梓
唯はアニメ1期の1話と最終話のリフレインで「成長」が明確に描かれている。
対してアニメ2期で「物語」の主人公が唯から梓に譲渡される。この2期において、唯に成長はないが卒業はする、という点が本作の肝である。(ということはつまり、「物語」が不在で、ただ日常的な時間経過(の結果としての進級や卒業)だけが存在する、というところが「学校生活」の本質であるということだ。)
その唯(たち)のそばにいて眼差し、彼女らが卒業していくのを見送る存在としての梓。梓の同級生の憂、純のふたりの存在も効いている。

唯たち3年が卒業したあとに、ひとりになってしまった梓を見るに見かねて憂と純が軽音部に入るらしいが、それはどうなんだ?
あくまであの5人で軽音部である、という風に考えると、梓にはなんとかひとりで頑張って新入部員を勧誘して、1年後に後輩達に泣きながら送り出されてほしい。彼女が先輩になって、唯達からの流れをちゃんと継承するところが見たい。

・23話 放課後!
アイキャッチのテープレコーダー演出をここにきて回収するのは反則だろう……メタフィクション・ノスタルジー
限りある高校生活の時空間を描く作品と言ってきたが、マジで、テープレコーダーに録音された音という形で、そのまんま青春を閉じ込めてしまうとは……
映像と音の関係についても考え直したい。


・最終話 卒業!
完璧な最終回だった。すごすぎる。これはアニメの最高傑作とも言われますわ。
そもそも前話「放課後!」からしてヤバかったけど、最終話では露骨に作画というか画作りを変えてきて、なんかもういろいろと風格がやばすぎた。ずっと叫んでた。
「天使にふれたよ」を部室(音楽準備室)で演奏しているのを、部屋の外の階段のところでさわちゃんが聴いているシーンでもう・・・もともと崩壊していた涙腺がさらに崩れ落ちた。さわちゃん、1期の頃はこんなに良いキャラになるとは思ってもみなかったよ・・・ごめんね・・・
卒業式の前に、下級生が卒業生1人ひとりの胸元に花を付けるくだりで、唯(たち)に花を付ける2年生が梓 "ではない" というところが、『けいおん』の本質なんだよな。マジで初めて出てきた名前も顔も知らないモブであることが重要。あそこで梓が唯に花をつける役であってはいけない。梓は、あくまで(視聴者には見知らぬ)「誰か」他の生徒に卒業の花をつけられるのを、傍から眺めなければいけない。それが梓の役目。それが「先輩の卒業を見送ること」であり、大好きな、自分の高校生活にとってかけがえのない先輩が卒業するということだから。梓は唯に花を送るんじゃなくて、唯から花を、そして歌を貰うのだ。


・25話 番外編1「企画会議!」
唯の前髪から22話後の時系列だとわかるの良いな笑
新歓用の部活紹介ビデオとして、練習シーンや演奏シーンが一切映らずに、軽音部を取り巻く生徒やとなりのおばさんなどの「軽音部への印象」コメントを並べてゆく構成は、言うまでもなく、そのまま『けいおん』の本質をあらわしている。
ライブ演奏の音だけがBGMとして鳴っているのも、23話のテープレコーダーと結びつけて考えちゃう。

平沢家の「となりのおばさん」を題材に一本けいおん論を書こうかな
両親が出てこない替わりの存在ともいえるし
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