お腹すいた

火の鳥 エデンの宙のお腹すいたのネタバレレビュー・内容・結末

火の鳥 エデンの宙(2023年製作のアニメ)
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このレビューはネタバレを含みます

原作がっつり既読です。

配信のアニメだし原作におけるロミの子供の増やし方もそのまんまやるのかな〜と思ったらそんな事はなく、カインもロミも、ジョージも牧村もチヒロも彼らの人生と命を踏み躙るようなアニメ化だった。

一応、このアニメではロミはカインの母でカインもムーピーとの間に子供を作り、その合いの子があの一大帝国を築いているのでそれだけの意味では命は繋がっているけど、重要な設定をとっぱらい、重点を置くべき部分がコムとチヒロのお披露目ムービーになってておかげで原作のような雄大さがなくなりとにかく薄口でかる〜いアニメになっとった。

実際には原作ではロミは死ぬ気の覚悟で近親相姦をしまくって、だからこそロミはこの国では偉大な存在となりいろいろありすぎて、もうひたすら地球をとにかく懐かしく思う気持ちが湧いてくるんだけど、アニメはとにかく浅くてどのエピソードもサラッとし過ぎて、火の鳥に於いてはただ飛んでるだけでタイトルの意味もなくて爆笑した。
火の鳥の火の鳥って、愚かな人間に鉄槌をくだす役でもあるけど私にはその行いだって火の鳥の身勝手に見えて、それの最たるものが望郷編のエピソードだと思うんだけど、これじゃ望郷じゃなくて(アニメ制作会社と脚本家の)暴挙編じゃん、と思った…。

あと、個人的になんだかなーと思ったのは俳優が声優をやってて、それはまぁよいんだけど(宮沢りえ、イッセー尾形といえば『トニー滝谷』を連想! コムの吉田帆乃華ちゃんの方が声優として上手かったですねすごく上手かったです今後が楽しみな子役さんです)、カインはプロの素晴らしい声優さんがやっててカインの悲哀に怒り、孤独なんかを声にのせて繊細に芸術的なまでに表現してるのに、アニメの宣伝のあちこちに書かれた記事では俳優以外の存在は全くの無視、俳優だけが顔出し、コメントしてる有様でなんだかなぁと思った。そういう姿勢にこのアニメの原作に対する横暴なまでの改変、一大叙事詩の中の一説と言えないあまりにもテキトーなおさわりだけの内容になっちゃったスタイルが、表れてる気がする、つまり原作を軽んじてる姿勢が。

尺の使い方もとにかくよくない。1話20分ちょいの4話、つまり80分ほどしかないならどこに重点をおくべきか、完全なダイジェストにするのか、それしかないと思うけど蓋をあけたらチヒロと、地球に還った牧村が議会にかけられたり悩むシーンに最後の4話めは尺が延々と割かれ、そこは尺を割くシーンじゃないだろう!と見ていて呆れた。
それともこのアニメの制作陣はひたすらチヒロ萌えなんだろうか、たぶんそうなんだろう。
本来なら上記の尺に割く分は、火の鳥のやり取りを描写するべき。
むしろ、作中の地球がどうなってるかなんて描写しない方が不気味さと同時に郷愁も垣間見えてよかったと思う。

そもそも、手塚治虫の火の鳥の、望郷編をたかだか80分のアニメにするなんて無理な話でどうしてもこういう雰囲気とキャッチーなアニメを作りたいならそれこそ藤子・F・不二雄のSF短編の中に良さげなものがゴロゴロしてる。手塚治虫原作のものをアニメ化するのなら、それなりに原作を理解してから作ってほしい。

手塚治虫作品は令和に読んでもテーマが新鮮に感じるしそれだけ名作という意味で、未読の人がいたら読みたくなる気持ちを想起させるくらいの映像作品にしてほしかったけどこれじゃぁ漫画も読みたい!という気持ちにならなくない? 別に、漫画の宣伝でアニメを作って欲しかったと言いたいわけではなく、それほどこのアニメ化がひどいという事を言いたい。

火の鳥の中の火の鳥は、最近はSNSで軽くミーム化してて存在がネタ扱いとはいえ広まってるのを感じるので、それを逆手に原作ではこんなやつですよ、とやってほしかった。このアニメの制作陣はそういうマーケティングもしてなかったのかな。

コムはとにかく可愛くてよかった、でもコムが食べ物を落っことして、拾って探す事にあんなに長々と尺が必要だろうか?

これじゃあまったく、作中のカインもムーピーとの混血たちもロミ自身も浮かばれない気がする、彼らの存在を命を軽んじ、冒涜しているとしか思えない。手塚治虫も歯軋りして地団駄踏んで怒り散らしてそう。

キービジュアルのキャラクターをブロッコリー配置した構図も、これは斎藤工さんの映画レビューで有名になったけど、笑った。今どきブロッコリー言われるの知らないとは言わせない。