Eegik

バッテリーのEegikのネタバレレビュー・内容・結末

バッテリー(2016年製作のアニメ)
3.5

このレビューはネタバレを含みます


アンチスポ根、アンチ野球、アンチ部活動、アンチ学校……とかなりアナーキーな《バッテリー至上主義》アニメ。一言でいえば異色作。



望月智充×志村貴子という自分のためのようなコラボだったので観た。


8/8
1話
山あいの田舎のロケーションが最高! ゆったりとした静かな雰囲気の進行といい、『絶対少年』を思い出す。

岡山県新田市…は実在せず、美作市がモデルらしい。(岡山県でもっとも人口が少ない市だとか)
岡山弁も良い感じ。
さすが望月監督、舞台の空間的な見せ方・使い方が上手い。商店街の細長い空き地でのキャッチボールのシーンとか。

あと神社もがっつり出てきてホクホクがとまらない。


エンディング曲、「明日、春が来たら」のカバーかよ!! 何から何まで自分好み・・・
(てかこの曲の歌詞をよく聴いたら確かに野球モチーフっぽい)
オープニング曲も同じ歌手/編曲体制で雰囲気を統一している。こちらのオリジナル曲もなかなか良い。
OP/ED映像が本編以上に志村貴子っぽい水彩画のタッチですごく良い。

エンディングで巧と豪と青波のさんにんが並んで歩く絵を観ていると、『ハルカの国 大正星霜編』のユキカゼとおトラとクリを思い出して泣きそうになる。ジェンダーレスな三人組。
青波くんめっちゃかわいいけど、虚弱体質ということでどうせ終盤でのお涙頂戴ポジションになるんだろ・・・??と今から訝しんでいる。
キャッチャーの豪くんは地元の医者の息子ということで、こちらも「野球か学業か」の葛藤イベントが約束されている。
主人公の巧はどうだろう・・・今のところは天才肌の一匹狼タイプ(スラダンの流川みたいな)で、こちらもテンプレ感はある。
てかこいつら中1かよ! 高1くらいに見える・・・去年まで小学生だったとは思えない(テニプリへの感想みたい)。まぁ小学生向けの児童文学だから中学生でも大人っぽく描いているんだろうな。

雰囲気がいいのでとても期待できる。


2話
巧くんが突然泣き出してこっちまで泣いちゃった・・・
精神的には年相応なところがあるんだけど、とはいえリアルではなくキャラクター的。
「興味ない」「俺には関係ない」が口癖の巧だが、野球というチームスポーツに惹かれている矛盾が、身近な人間関係のなかで立ち現れている。豪の母親からも、自分の母親からも、「あの子に野球をやめるように言って」と懇願される。(保守的すぎる豪ママ、典型的な田舎の権力者の妻という感じで趣深い。)

子供の倫理と大人の倫理が対立している物語でもある。
豪ママに「野球はさせてもらうものじゃなくて、するもの」と告げる巧だが、豪のいい野球用具一式は親に買ってもらったものだし、巧だってお爺ちゃんから「お前の才能は努力だけで身についたものではない」と言われる。つまり、経済的にも血統的にも子供は「親」の権力からは逃れられない。いくら自分の意志でやりたいことをやっているのだと主張したところで、その不都合で残酷な事実は変わらない。

ここで巧(と豪)の子供性を相対化するのが青波なのはいうまでもない。
「お前は俺のようにはなれないよ」と告げる巧に青波は「兄ちゃんみたいになりたいわけじゃない。ただ自分が野球をしたい」と返すシーンが象徴するように、巧もまた、自分より年少の血縁者(弟)に対して無意識のうちに父権を行使していたのだ。
迷子になった青波を助けようとして自分が足を滑らせて池に落ち、逆に青波に心配されることで、巧は周囲の大人からの抑圧を鬱陶しく思いながらも自分が弟に抑圧的にふるまっているという矛盾、その弱さと滑稽さを自覚せざるをえなくなった。そこでの涙とそのあとの発熱は、自らのうちに確かに根付いているそんな矛盾が身体の表面に現れ出たものだろう。

今のところ「野球」といいつつ、キャッチボールとバッテリー間の投球練習しか出てきていない。(バットすら登場していない。)おそらく次話から中学に登校するようになり、バッテリー以外の野球部メンバーたちが登場して、ようやく本格的な野球アニメになっていくのだろうが、しかしタイトルから察するように、本作は明らかにチームスポーツとしての「野球」よりも、身近な人間関係の表現・舞台としての「バッテリー」に重心があるのだろうから、他のキャラはあんまりメインにならない気がする。青波くんの存在も無視できないので、中学野球の話を中心にはできないし。



8/10
3話 入部回
巧くん態度悪すぎて笑うし、それでもこの野球部はヌルすぎる。顧問の先生優しすぎる。こういうのんびり目の野球部も実際にあるのだろうか(そういえばまだ中学校なのだった。気を抜くと高校だと思い込んでしまう……)


8/11
4話
巧まさかこのまま生意気なまま曲げられずにのびのびやっていく系か……? 『星合の空』の主人公も思い出すチート具合
しかもそんな巧の肩をお爺ちゃんまでが持つ。孫の顧問の元顧問というポジションずる過ぎる。
おとむらい先生はすぐにそのお爺ちゃんのもとに足を運んでえらい。(作劇的な意味で)
お爺ちゃんは教え子のおとむらい先生も、そして孫の巧すらもクールに相対化して超越的な立ち位置を気取っている。本作の最強キャラか? 『絶対少年』横浜編のお婆さんのように鼻につく老害キャラにはなってくれるなよ・・・。
お爺ちゃんに会いに来たおとむらい先生を仲介するのがまさかの青波くん。おまえそういう役割のキャラだったんか。お爺ちゃんとちびっ子に世代的に挟まれて詰められる構図。原田家、隙がねえ……。

お爺さんの語りシーンでは風呂焚きのための薪のショットが長時間そのまま映し出されていたが、あれはどういう演出意図なんだ。

部活のシーンとかで、学校のグラウンド・敷地越しに見える山々の画がすごく好き。田舎でこの地味な物語が展開されていることに安心する。良質な田舎アニメ。

豪くん相変わらずいいやつ過ぎる。そんなに捕手=女房として相応しくふるまわなくてもええんやで。
先輩たちは形骸的な悪役として描かれているようで不憫だなぁ。

お爺さんが「好きな子が応援に来ただけでホームラン何本も打つこともある」という台詞を言ったが、今のところこの作品にはヘテロ恋愛要素がまったくない。ヒロインもいないし少女が一切出てきていない。青波くんがその代わりなのかもしれないが……。
この第4話の後半のおとむらい・お爺さん・青波の三人のシーンが顕著なように、主要キャラが基本的にみんな男性ばかり。野球部ならそれは当たり前かもしれないが、部活以外の家でのシーンでもこうして(世代の異なる)男性キャラに画面が占められて話が進んでいくため、やはりこのアニメの特徴といえるだろう。巧や豪の母親くらいしか女性が登場せず、しかも彼女らは主人公の男たちの野球への想いに無理解な敵対者として強調されて描かれている。
その理由を原作者が女性であることに雑に求めたくなってしまうがやりたくない。


8/12
5話 リンチ回
あのリンチは酷いんだけどしょぼくもあって絶妙にこの野球部っぽいしこの作品っぽい塩梅だった。
先輩たちよく考えれば中3なの笑うわ。高3に見える。
部長はほんとにリンチに参加してなかったのか? 怪しい。
野球部活動停止・試合出場辞退は妥当すぎる判断だが、まあ巧たちは受け入れがたいだろうし、じっさいまったく気にせず練習しててわろた。
一年生の小さい子、学校さぼって木に登ってたのまではまぁわかるけど、巧たちが来て木に抱きつくのはさすがに草 そんな猿みたいな……(ちょっと前の豪宅での朝食にバナナあったし)

豪くんの家で一泊。なぜ両親がいない?
マッサージのシーンとか露骨にホモセクシュアル的。女性は話にも出てこないのでホモソーシャルではない。
校内の廊下シーンとかでいちおう女子生徒はいるんだけどいっさい喋らないしマジでモブ。
最後、「グラウンドの野球部員。今日は部活は中止です」というアナウンスが女性教員の声であるのはかなり重要な気がする。母親たちと同様に、巧たち野球少年を邪魔する存在としての女性表象。


8/13 土
6話 部活動再開&最後の練習試合企画回
リンチした先輩たちとふつうに一緒に部活しようとしてるのも受けるけど、巧はほんとに曲がらないな。さすがストレート一本のピッチャーなだけはある。カーブを習得したいって「大人になりたい」ってこと?
もはや俺TUEEE系だといってもいい。練習し、挫折し、仲間と親交を深め・・・というスポ根モノの常道を真っ向から否定しているアンチスポ根アニメ。バッテリーにしかスポットが当たらない点はアンチ野球アニメだし。
『響け!ユーフォニアム』に対する『ハルチカ』のような感じ。
となると、そんなラノベ主人公的な巧が泣いた第2話はやはり異様で特筆すべきだし、青波というキャラの存在が重要になってくるだろう。本作を単なるアンチスポ根・俺TUEEE系から区別するために。

エンディング曲がかわって今度は「若者のすべて」!!! マジかよ……


8/16 火
7話 バッテリー痴話喧嘩&vs横手二中
このアニメ基本的にバッテリーふたりのイチャイチャ痴話喧嘩しかやんないな……
横手二中の6番のかき回しイケメンが「姫さん」やら「初体験」やら言うのは嫉妬/やきもちか? 海音寺先輩からの電話を「かぁいらしい女の子」からだとうそぶく爺さんもよくわからない。単なる冗談なのだろうが、こうしたサブキャラのふざけた台詞上でしか女性の影が登場しないのが気になる。セジウィック的なホモソーシャル?

3年生の引退試合が、まさかの学校非公認の生徒間の「遊び」の体なのもびっくりだよ。アンチスポ根、アンチ野球アニメなだけでなく、ついにはアンチ部活アニメにもなった。すごくアナーキーだが、小学生向け児童文学ならこういうトーンがスタンダードなのかもしれない。宗田理『ぼくらの七日間戦争』シリーズとか・・・。

終盤の試合描写も、劇伴をほとんど使わないで淡々と進行させるので全然盛り上がらない。ここらへんは望月監督の特徴。


8話 春に再試合決意回
練習試合(没収試合)からあっさり一か月経過させたのにはやや驚いた。それでも静かな雰囲気で進むのでダラダラ感はある。『絶対少年』ほどではないが。

横手二中の門脇&瑞垣ペア(バッテリーではない?)もやっぱり相思相愛の関係やないか。そういう年頃の男子同士のもどかしい絆を描くための物語だというのはわかった。
基本的に、主人公のバッテリーがこの世界/物語の「すべて」なので、主人公にとってのあらゆる障害はバッテリーの豪との関係に起因する。だからそれ以外には(ちょっと先輩からリンチを受けようが)本質的にはなにも障害がなく、俺TUEEE系みたいになる。このバッテリーの絆の強さだけによって上手くいくかどうかが決まる世界観。他のキャラクターはすべてそれに奉仕する存在として設定されている。(だから、横手二中の主力ペアの濃い関係が描かれることは、主人公バッテリー以外にも世界の存在意義があるという主張として受け止められるので、このある意味で息苦しい世界の風通しが良くなった。)
ここで忘れてはいけないのは青波の存在だろう。いまのところは、バッテリーの仲をうまく取り持つ、潤滑剤のような働きしかしていない気もするが、最終的にどう位置づけられるのか……。

一年坊主くんの巧へのめっちゃ優しいビンタには笑った。ぺし、てw
他に同級生のおちゃらけキャラの吉貞くんも存在感増してきた。


9話 公園で遊びの野球&巧覚醒前夜?回
青波や同級生たち、横手二中の先輩たちの協力があってようやくバッテリーとして再出発できるふたり。
横手二中の瑞垣→門脇の巨大感情がすごい。「俺はなぁ……いっぺんお前を土下座させてやりたかったんや……ずっとそう思うとった……そんなこと、気付きもせんかったやろ」て……。いちばん嫉妬してるのお前じゃねえか。瑞垣はふつうに言うことがヤバい。「夢で何遍も殺しとるんじゃないの。それともボコったか?それとももうちょい色っぽい夢か?」 煽りキャラとしてもここまで変にひねくれてる奴は見たことないぞ。
主人公ペアの同級生の脇役3人組もいい感じにキャラ立ってきた。

話はなんだか「地味に変」としか言い様がない感じだが、背景美術は相変わらずすごくいい。ちゃんと「背景」として魅力的。風景を前面に見せるカットじゃなくて、キャラが会話してたり野球してたりする通常のシーンでも、グラウンドの向こう側に広がる山々や坂、町の風景が常に見えて良い。


10話 先輩卒業回
なんか色々と重要そうなこと言ってたな・・・
まず、冒頭の病院屋上シーンで、「甲子園に行きたいとか言ってたなったっけ」と巧に訊かれた豪は「今はそんなこと考えられんなぁ。まじしんどい」と返す。そのあと、横手二中ペアの高台シーンで、スポーツ推薦を蹴って野球部のない高校に進学し、何の部活にも入らずに「おれぐだぁ〜っとしてなんもせんとええかげんに過ごすつもりや」と話す瑞垣に、門脇はため息をついたあと「そりゃあかなりしんどいな」と言う。それに瑞垣は「かもな」と返す。
この、本作で執拗に描かれている2つの「ペア」間のそれぞれの会話に登場する、対照的な2つの「しんどい」という言葉はかなり大事な気がする。野球をすることのしんどさと、野球をしないことのしんどさ。
これは、久しぶりに登場したお爺ちゃんが巧に教え諭す「野球に選ばれるんじゃのうて、お前が野球を選ばんといけん」という台詞にも繋がっているのか。
バッテリー至上主義アニメであり、野球や部活動を毀損し続けていると思っているが、ここではそのことでかえって、「野球」を近視眼ではなく、人生のなかの一要素として広い視野から位置付けて向き合う態度が持ち込まれている。さすが人生の大先輩たる老人と言ったところだが、爺さんだけじゃなくて、瑞垣のような曲者の描写を通しても、そうしたある意味で風通しのよい人間ドラマたりえているように思えて感心した。
そして、「野球に選ばれるんじゃのうて、お前が野球を選ばんといけん」という思想から導かれるように、終盤で巧と豪のあいだで核心的な会話が交わされる。海音寺キャプテンが豪に言う、「永倉は原田以外のピッチャーでも同じ気持ちでやれるか」「原田は永倉がキャッチャーじゃのうても投げられるか」。豪は巧じゃないとダメだと言う。しかし巧は、豪でなくても投げられる、という。お前がキャッチャーでなくても構わない、と。ただしそれは、豪が巧にとってどうでもいい存在なのではなく、むしろ逆に豪がじぶんにとって特別な存在であることの告白だ。「お前がキャッチャーだから一緒にいるわけじゃない。力さえあればキャッチャーなんか誰でもいい」。こうして巧は「キャッチャー」という一般的な属性を貶めることで反対に豪という特定の個人、身近な存在の意義をようやく認める。
これは作品の前半からすれば巧のすさまじい成長/変化だが、それだけで終わらずに豪がさらにぶっ込んでくる。
「お前は原田巧の球を取ったことがないんじゃ。そうじゃ、お前だけは絶対お前の球、捕ることができんわけじゃ」
自分で投げたボールを自分で捕ることは出来ない、という絶対的な《真実》。
ここにきて《バッテリー》という二者関係、投げる-捕る というこの作品の究極的な原理が俎上に上げられ、再考を促される。豪はじぶんだけが巧の投球を捕る存在でありたいと、キャッチャーとして究極の独占欲を肥大させているが、肥大させ切った結果として、当のピッチャーの巧自身にさえも、自分のポジションを奪う可能性のある潜在的なキャッチャーとして「嫉妬」する。かなりアクロバティックな発想だ。しかし、この発想をしたことで、逆説的に「俺がいちばん憧れているお前には絶対に出来ない役割」として「ピッチャー原田巧の投球を捕る」という仕事の価値、いまの自分の価値を見出して肯定して宣言する。巧によって貶められた「(原田巧の)キャッチャー」という属性をふたたび自らのアイデンティティとして結合させて引き受ける。
「キャッチャーが誰であっても投げられるのが良いピッチャー」「ピッチャーが誰であっても捕れるのが良いキャッチャー」というのは至極冷静な正論であり、バッテリー至上主義アニメであるこの作品では乗り越えなければならない思想だ。だから、乗り越えるためにあえて一度、主人公(巧)にこの "正論" を宣言させたうえで、もうひとりの主人公-バッテリーである豪に、正論よりもさらに確かな「自分で投げたボールを自分で捕ることは出来ない」という《真実》を見出させる。これはかなりすごい展開……物理的なアクションはなにも伴っていないが、思想上のフィールドでは「スーパープレイ」と言えるんじゃなかろうか。


瑞垣が自室で海音寺からの電話を受けるシーンで、やけに瑞垣のフェティッシュな姿勢や身体が執拗に描かれるのには笑ってしまった。やっぱり男-男の象徴的な次元での隠匿された同性愛っぽさがある。巧と豪の自転車二人乗り下校シーンもそう。『安達としまむら』か??


11話 最終回
ええ……これで終わりかよwww すごいな…………
そもそも1年間を描いていて一度も公式戦に出ずに終わったのもすごいし、最後の練習試合(3年生は引退どころか卒業してるのに出場)では両校の監督(顧問の先生)がマウンドに上がらずに観客席で座ってみている絵面も面白すぎる。
最終話サブタイトルは「二人の春」ということで、うざったいくらいに試合中も桜の花びらがチラチラと舞って画面を横切り、幻想性を帯びる──とか思ってたら本当に桜吹雪のままホワイトアウトして、相手校のライバル門脇への第一球を投げたところでアニメが終わった……。
「異色作」としか言いようがねぇ。なんだこれ。ただ、普通のスポ根が好きじゃなかったり、好きでもちょっと食傷気味なひとには刺さる作品だと思う。じぶんも、スポ根はかなり好きなほう(なにせ『ちはやふる』が一番好きなアニメなくらいだから)だし、1クール全11話を通してずっと楽しめたわけではないけれど、最終的にはかなり自分好みというか、この作品の体現するトーン・思想・世界を良いなと認めてしまいたくなった。試合中にあんまりBGMを流さない望月智充流の音響演出(音響監督も兼ねている)もいい。
序盤以外、青波くんがそんなにメインにならずに終わったのは残念だったが、かといって安易な病弱かわいそうキャラにもせずに、彼なりにまっすぐに好きな野球に邁進しているようなのはとても幸せになるし、応援したい。彼がこの先も健やかに野球を続けられますように・・・(原作では続きが描かれているのだろうけど特に読む気はない)
門脇-瑞垣の光×闇の幼馴染ペアはかなり良いと思います。瑞垣側のねじれまくった想いを門脇がまっすぐに浄化していく感じが。こいつらもバッテリーにしちゃえばええのにとは思ったけど、あくまで主人公たちバッテリーのライバル役として門脇が設定されているからこそ、そのペアの瑞垣が曲者キャラとしてやりたい放題できるのか。
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