SANUKIAQUA

小公女セーラのSANUKIAQUAのレビュー・感想・評価

小公女セーラ(1985年製作のアニメ)
4.5
放送当時、あまりにも悲惨な内容ながらも
釘付けになり最後まで見続けて
翌朝の教室でも話題になっていた作品。
数ある世界名作劇場の中でも印象としては
最も暗い印象があるのだけど、
最も印象に残っている作品でもあります。
放送当時は年齢の近い主人公にがんばれ
という思いで見ていたものですが、
今回大人になって見直してみると
色々と考えさせられることがありました。
配信サービスでこうして
過去の名作が見られるのは
本当にありがたいです。

原作が最初に発表されたのは1888年。
アニメでは1885年を舞台にしている
とのことです。
イギリスでは1889年に児童虐待防止法が
施行されたということで、
児童虐待は当時のイギリスで
大きな社会問題化していたと考えられ、
この作品は単なる児童文学ではなく
社会的に重要な意味を持った作品だったのだ
と思いました。
原作よりもイジメは激しく
そこには放送当時の日本のいじめ問題も
あったのだろうと思いました。
これを1年間子供向けアニメでやり切った。
骨のある制作者じゃないとできない仕事。
女学院を追放される時のセーラの凛とした顔に
このアニメのスタッフの意志を感じました。

全話を見ていて気付くのは、
主人公以上に悲惨な環境にいる子供たちが
ロンドンの街に溢れているということです。
街でお金を盗む子供達、パン屋を覗く少女、
鉄屑や石炭などの屑を集めて売る少年、
ドブ川をすくって金目のものを探す少年。
親を失った、もしくは親に捨てられた
子供たちが都会の片隅で必死で生きている。
その傍らを着飾った大人たちが歩き、
馬車で通り過ぎていく。
激しい階級の差が見てとれて、
このことが学院の院長やいじめっ子の根底の
コンプレックスとつながっていて
社会の歪みを表現していると思いました。

子供の頃は、どんないじめや虐待を受けて
傷ついてもなんとか頑張る主人公に目がいき、
がんばれとただ応援していましたが
今回見直していると、
大人たちの無力ぶり。
勿論、仕立て屋や花屋、パン屋や
ピーターの両親やフランス語の先生など
セーラの力になってくれる大人もいますが
根本的に彼女を救うことはできません。
なのでセーラを目の敵にして
弱きものとして叩く存在を許してしまいます。
その最たる存在がミンチン院長なのですが、
彼女自身も幼くして両親を亡くし、
もっと幼い妹の世話をしながら必死に勉強して
働いて女学院を設立した苦労人だった、
という事実を知り大変驚きました。
本来なら、セーラに対して最も理解を示して
保護するはずの彼女が、
最も酷い仕打ちを彼女に行う。
現在でも、子供時代に虐待されて育ち、
親になると自身が受けてきたような虐待を
我が子にしてしまうことは
問題になっていますが、
いろいろなものが進化して100年以上経っても
人間の本質なのでしょうか
なかなか根深いものだと思いました。

ミンチン院長が女学院を設立した思いは、
最初は自分のような境遇の子供を助けたい
という願いからだったろうと思います。
しかしそれでは学院を運営していくことは
きっと難しかったのでしょう。
市などからの支援を受けるのも
大変苦労したことでしょう。
そのような苦労が重なり彼女は経営のために
裕福な家庭の子女を集めることにしたのでは
ないでしょうか。
裕福な家庭の子女を教育することは
彼女の自尊心を満たすに十分で
それは幾分かの復讐にも似たものも
含んでいたのかもしれません。
もし当初彼女が目指したかもしれないような
貧しい子供達の拠り所となるような
学院への援助が十分にされていたなら
彼女ももっと幸せな教育者になっていたのかも
しれません。
教育事業への支援を厚くする必要があるのは、
単に子供達だけのためでなく
子供達を育てる教育者をダメにしないため
でもあるのではないでしょうか。
ミンチン院長は教育の目的を
金儲けのためとした。
その根本がセーラと決定的に違い
セーラに敵わない差を生み出し
彼女に劣等感を知らずに抱き
人間の質の差に嫉妬したのではないでしょうか。

もう一人のいじめの首謀者、
アメリカからやってきた少女ラビニアにしても
根底にあるのは強烈なコンプレックスです。
油田で成功した成り上がりの父親は
割とちゃんとした人物に見えましたが、
ラビニアは母親の溺愛を受けて
我儘に育っています。
成り上がりだから欧州の貴族階級への憧れと
コンプレックスがあり、
それがセーラへのいじめへとつながっています。
ラビニアは馬鹿ではないと思います。
自分の行いはよくわかっています。
本来ならセーラの最も好き友人に
なっていたはずの少女なのに。
最終回、セーラに歩み寄る時の
彼女の長いショット。
彼女が変わるかどうかの分岐点だったと
思います。

代表的ないじめの首謀者はこの二人ですが、
他に出てくる大人たちも
虐待やいじめに対しての意識が希薄だったり、
子供と一緒に加担したり
見てみぬふり、わかっていても
何もアクションしないなど、
大人が酷すぎました。
作者が訴えたいのは、
こうした大人たちの考え方や
行動から改めなければいけない
むしろそれができれば問題は解決する
ということなのではないでしょうか。

幸いにもこのお話では主人公は救われます。
彼女によくしていた
友人のベッキーも救われます。
彼女がパンをあげた少女も救われます。
しかし現実は必ずしも
こうはいかなかったでしょう。
そしてこれは19世紀のヨーロッパの
出来事ではなく
現在の日本でも続いている話、
というのが悲しい所です。
莫大な財産を継承したセーラは
おそらく自分の目で見てきた子供達の境遇を
改善するために活動することでしょう。
こうした活動が現在のSDG sまで繋がっていく。
子供たちがよりよく成長できる環境が
できますように。
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