木野エルゴ

アストリッドとラファエル 文書係の事件録 シーズン2の木野エルゴのレビュー・感想・評価

2.8
前回のシーズン同様、バディドラマとして面白かった。周辺のキャラクターも個性があって良い。

ただ、前回も思ったことだが、犯人の動機がテーマとはあまり関係がないところにあるのが気になった。人間ドラマに重きを置いたせいか、ミステリーとしての要素がだいぶ薄まった感じがする。

これから下に書くのは全部批判だけど、基本的に登場人物が良い人揃いだからストレス溜まらずに見られる好きなドラマではある。だからこそ気になる点が目につく。

というわけでここからは蛇足。
今回のシーズンは個人的にいくつか問題点があった。

ひとつは最終話について。ドラマの風呂敷を畳もうとするあまり、キャラクターの行動が設定から逸脱しているように感じた。
まず、アストリッドはいくら面白い事件があるからといって、初対面の人間の話を聞くだろうか。行きつけとはいえ、他の客もいるカフェで捜査資料を広げるのも考えにくい。
ラファエルも自分の管轄外である上に、関係者しか入れない(本来ならラファエルも入る権限がない)犯罪資料局に一般人を連れていくというのは非常識すぎる。いくらルール破りが常とはいえ、リスクマネジメントができてなさすぎる。

そもそも最初から部外者を捜査に加え過ぎだろって思ってたけど、フィクションだからOKと許容していた部分もあった。しかしこれはひどい。解決できれば何しても良いというわけではない。

展開は悪くないんだけど、なんかそこら辺が腑に落ちない。

次に自閉スペクトラム症(以降自閉症と記載する)の傾向があるキャラクターが、押し並べて何かしらに優れているという描き方。これは「自閉症の人は何かしら特出した能力がある。だから価値がある」という偏見を広げかねない典型的なステレオタイプ問題。
定型発達(つまり自閉症と診断されていない社会に迎合しやすいいわゆる「一般人」)でも才能が開花する人もいれば目立たない人もいる。自閉症の人たちも同様であり、能力の有無で人の価値を判断するのは不合理である。

それから、アストリッドが他者とコミニュケーションをとり、定型発達と同じように生活していく過程について。ストーリー上、キャラクターが変化していく要素は必要だと思う。しかし、自閉症の人たちが努力をすれば社会に迎合できるようになる、と考えるのは問題がある。本来であれば、自閉症の人が定型発達の人に合わせるのではなく、ラファエルや他のメンバーがアストリッドにしてきたように、社会が自閉症の人たちの意見を聞いて環境を改善させていく方が好ましい。
この作品を見れば分かる通り、自閉症の人が定型発達の社会に合わせる労力は、定型発達の人たちが自閉症の人たちに適した環境を作るそれより何倍も大きいのだから。

最後に、ある特定のグループや属性に関する偏見を助長させかねない表現について。今回、日本の文化を取り上げたエピソードがあった。日本に長く住んでいる人なら見ればわかる通り、現実の日本というよりステレオタイプの日本が描かれている。(流石にヤクザの世界は知らないが、もしかしたら刀やドスで殺し合うのかもしれない。そんな事件あまり聞いたことがないが)一昔前の作品ならともかく、今はネットで調べればどんな生活をしてるかぐらいは分かるし、スタッフの中に日本に詳しい人間もいそうだから聞けばいい。物語の展開自体は嫌いじゃないが、現実的じゃない文化の描き方には正直ガッカリした。

同じように自然保護団体や女性コミュニティの描き方も気に入らなかった。そもそもなぜ団体やコミュニティ(女性に限らずナチュラリストや反資本主義など)を作らなければならないかというと、社会の中で自分の意見が尊重されず、更には危害を加えられる可能性があるからではないのか。そこに目を向けず、ヤバい人たちの集まりという描き方をしたのは問題があると思う。

クソ真面目な内容を書いたが、自分が好きな作品が社会にあまり良くない影響を及ぼす可能性があるのは好ましいことじゃない。

そんなこんなで今回は色んな意味でモヤモヤしたシーズンだった。
木野エルゴ

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