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AND JUST LIKE THAT.../セックス・アンド・ザ・シティ新章のGreenTのレビュー・感想・評価

1.0
思ったよりも観れるな〜とは思いましたが・・・・

キャリー、ミランダ、シャーロットは55歳になっていて、いきなり白髪の話になる。『セックス・アンド・ザ・シティ』も、当時サーティ・サムシングだった女性たちの本音をズバズバ聞かせるって作りだったから、このシリーズでは「55歳の女性の本音」を聞かそうってことらしいのですが・・・。

とにかく、ポリコレの連発!例えばミランダが、人権問題の学位を取ろうと大学に通い始めるが、黒人女性の教授に「ドレッドヘアで教授になれるの?」だかなんだか、「無意識の人種差別」を連発して居心地悪くなったり、キャリーは「ノンバイナリーのコメディアン」のポッドキャストに出演。シャーロットは、娘の一人がノンバイナリーっぽくて悩む、みたいな。

SATCでも、キャリーが一番アホなのに、おかしなことをするのは他の3人、みたいなところがあったのですが、今回はこの「人種差別」「LGBTQ問題」などで失敗するサンプルみたいのにミランダがなる。

出演者も製作者も、SATCを作った人たちだし、この業界でずっと仕事してきたんだから、SATCの頃と今では価値観が全然違う、そういうのに戸惑う55歳を描くという意味では、思ったより共感できるところはあるのですが、なんつーかなあ、言い訳がましいというか、現代の感覚に無理やり合わせようとしている感じがする。

このSATCの続編やるって聞いた時「今どき白人特権階級の女がチャラチャラしている話なんて興味ないよ」って思ったんですよね。でヤフーニュースとかで撮影のニュースを観ても、不必要に派手な服装のSJPとか、時代遅れ感がハンパなかったし。

女性の年齢のことを色々言うと「エイジズム」とか言って差別と言われるようになったけど、でも正直言ってSJPもう派手なカッコ似合わない。ほんっとに老けた。ミランダやシャーロットの服装の方がまだまとも。まあ、SATCの頃からそうだったけど、でももはやこのくらい老けると「勘違いおばさん」の域に入ってしまう。

この登場人物たちを、「今でもイケてるおばさんたち」にするためにLGBTQ、人種、環境問題などを考える大人になったよ的なアプローチなのだが、それがいかにも「白人特権階級の金持ちの女性が考える社会問題」って感じだし、主人公たちが失敗しながら学ぶって言うのも、説教臭い。ほら、自分の意見を聴いてもらうためにわざと失敗するような設定をして、「そこから私はこんな風に学びました」って、謙虚なようでいて上から目線的な?

で、サマンサがいない件は、「キャリーのパブリストをクビになったことに腹を立て、ロンドンに引っ越し、テキストや電話をしても返事してくれない」って事になっている。サマンサはそんな懐が狭くないって!

キャリーとポッドキャストをやっているチェ・ディアズってキャラがサマンサのあとを埋めてるんじゃないの?って言ってる人がいたけど、そうかも。この人ノンバイナリーのスタンダップって設定なんだけど、関わりたくない感じの人。スタンダップもギャグは全く面白くないけど、LGBTQとしての悩みを共感!っていう意味では面白いらしい。いやー、こんな仲間意識強いスタンダップ観に行きたくないわ。いわゆるマイノリティの人に焦点を当てているのに「この人と関わりたくない」って描き方になっちゃうところが、やっぱ勘違いなんだなあ。

この先ネタバレになるので、まだ観ていない方はご注意!

ネタバレ

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第一話でビッグが死ぬ!なんでこんな設定なの?って思ったら、「夫を亡くしたキャリー」に同情が集まるようにしたいらしい。ほんっとにSJPって自己陶酔型だよな〜。みんながビッグを亡くしたキャリーを腫れ物に触るように扱う。

だけど、ビッグが死んで、ミランダを呼びつけ、ビッグの死体が運ばれている時

キャリー「これからどうなるの・・・・」
ミランダ「救急車でビッグの体を運んで行くと思うよ」
キャリー「違うわよ!私はこのあとどうなるの?!」

って言うんだよ〜!

そりゃあ、自分の将来が不安になるのは解るけど、、たった今死んだのよ?!ビッグを失ったことはどーでもいいんかい。

こういうセリフを平気で言わせるところが、「キャリーのキャラを嫌なキャラにしたいのか?これが本音と言いたいのか?」と、製作者側が完全に大衆と剥離しているなあと感じる。

で、ビッグの葬式をどうしよう、って葬儀屋に頼むんだけど、「私の思ったとおりの葬儀をしてくれるのはレズビアンが運営する葬儀屋」で、「ちょっとでも間違いがないように全部細かくチェック」。で、スタンフォードとか友達は「こんな辛い状況でも、素晴らしいイヴェントをプロデュースできるキャリーは素晴らしい」なんて言わせている!

あと、「花は贈らないでくれ」とか、葬儀に来る人に色々注文をつける。なんだけど、ロンドンにいるサマンサはそんな事知らないので花を贈ってくる。それを「花はダメって言ったでしょ!」って葬儀屋に言うんだけど、贈ってきたのがサマンサだって判ると「このままでいいわ」みたいな、なんかな〜、本人は友情のつもりなんだろうけど「余計な事するサマンサ」みたいな描き方が気になる。

キャリーってすっごい感情的なのに、なんでビッグが死んだ時は落ち着いて葬儀のプロデュースなんてできるんだ?

SATCのときもコイツ嫌いだったけど、でも昔は笑えるところもあったからいいけど、ここまで来るとなんでこんな人が主人公なのか、この人を「いいわ〜」って思う層ってどの辺なのかと疑問に思う。

逆にこの話どう落とし前つけるのか興味が湧いてきた。

追記:あとから考えてみたら、この流れは、最後キャリーがライターに戻るって設定なんじゃないかなあ。ビッグが死んで、昔一人暮らししていたアパートに戻るシーンがあった。なに、このアパート、誰も住まないで取っておいたの?なんたる贅沢!とか思ったけど、ここに戻り、元のキャリーに戻る、みたいな・・・。

第5話が出たので観てみたが、キャリーが腰が悪くなり、傘を杖代わりにして歩くという、もう悲しいから止めて!って思う。これが「等身大の55歳」って設定なのかなあ。身の回りの55歳はもっと若々しいけど。これじゃあ70歳くらいの感覚。なんかキャリー必要以上に老けすぎてない?

なんだけど、腰が悪い理由は生まれつきの骨の問題で、「トシだから」じゃない設定にしているという、なんとも中途半端な。

キャリーってもっとあっけらかんとした面白いおばさんになってたら良かったのに、やたらエモい、キリキリしたところが増長されちゃって共感できないキャラ。

これが現実なんだよな〜、あんなキャピキャピ可愛かった女の子たちがこうなるのよ、って意味ではリアルなドラマなんだけど、だからと言って面白いわけではない。等身大の女性ってのはそのままではこんなに興味が沸かないものなんだと思わされる。55歳の女性に起こりそうな事柄をズラズラ並べただけでは面白いドラマにならないってことか。

第7話まで観たけど、HBO Max のサブスク終了しちゃったんでそのまま放置。

ミランダ役のシンシア・ニクソンは同性婚をしている人なので、昨今の風潮がそういうの受け入れるようになってきたからレズビアンを演じたかったのかもしれないけど、本人の体験を持ってしてもあまり「なるほど!」と思わされるような感じもしないし、また社会問題云々に関わりなく、話の語り方が全く面白くないのが致命傷だなあと思った。

昔は気の利いたジョークが爆笑な時や、ちょっとホロリとするエピソードがあったりしたけど・・・

あ、そうそう、第7話では、やたらと男がイチモツを出す。それが「女ばっかりヌードになるのはおかしい」という世論に対する回答なんだろうけど、なんか悪趣味で気持ち悪い。必然性のあるヌードじゃないんだもん。男にイチモツを出させるために書いた脚本みたいな、性差別問題への回答、みたいのがあざとくて本当にイヤになる。

ハリーにイチモツ出させるなら、SJPがサマンサやミランダみたくヌードになれ!って言いたくなる。そんなに「老いても美しい」的なことが言いたいなら、お前が脱げ!

自分はいつも安全なところにいて、他の俳優たちを辱めることで社会問題に言及してますみたいなところがホントSJP嫌いになる。
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