【窮屈な多様性へ】
多様性は、上から目線で、ちょっと窮屈な時がある。
アロマンティックもアセクシャルだって、思いやりはあるし、心から寄り添ったり、人の幸せを願ったり、人の背中を押してあげたくなるのだ。相手が異性だって同様にだ。
それは、ノン・バイナリーも同じだろう。
当然、バイナリーも同じだ。
LにはLの
GにはGの
BにはBの
TにはTの
QにはQの
カテゴリー別の特定の人の好きになり方があるわけではなくて、人を好きになるのは、バイナリーも同じではないのか。
アロマンティックにはアロマンティックの、アセクシャルにはアセクシャルの、好きになり方があるんじゃなくて、人を好きになるのだ。
どんな場合でも、表現の方法が違うだけじゃないのか。
多様性は、ちょっと上から目線で窮屈だ。
だから、「ヘェ〜、そうなんだ」って、誰もが思える世界が良いように思える。
このドラマは面白かった。