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赤い袖先(原題)のひばのレビュー・感想・評価

赤い袖先(原題)(2021年製作のドラマ)
4.5
終始暗い家父長話だ。王と王女のラブストーリーならある程度ある安堵感がない、赤い袖先は王の所有物の意であると暗示するままに。"私は思い合う者同士対等でありたいから側室にはなれません"というNOに対しひたすら駄々をこねる権力者の話だ。側室になれば王の物として子産み生産一本化、ただひたすら王が訪問するのを待つだけの時間を過ごし正妻でもないから影として自覚を持ち卑しい者と常に蔑まれ人の生きる道を捨てることになる。自分の首を握ってる人間に迫られることがプラスされめちゃくちゃに怖いハラスメントにあたると何回も演出することが意味するのは、意思を持つことも許されない中相手が自分を思う気持ちを利用したNOという言葉でしか自分を保てない形作れない環境にあるということ。相手は口馴染んだ言葉さながら「お前ごとき」とか「宮女のくせに」とか言うし、自分の恋心でさえ「お前のせいでこうなってるんだ」という他責の心しかない、自分のものになるかならんかの物差ししかねえんだもん、己に褒美という考え方がアレ。王以外にも「代わりはいくらでもいる」とか「どうでもいい」とか「とるに足らん」とかマイクロアグレッションに溢れた環境で一生暮らすなんて無理だ。宮女としての務めが公、宮女のお友達といれるのが私なのだから王と接するのは公でしかない。そこに私が入り込めない。そもそも王宮から出ない王には空想の民しかいないわけで、その民に宮女は含まれていないと宮女自身が見透かしていることが垣間見えるつらさもある。損得でしか回らない王宮でみんな誰もが好きでこんなことやってんじゃねえんだよ顔してるし、人間性は確かにここにあるのに人間性をより踏みにじった者のみが"成長"の官位を与えられるのは酷いねじれだ。
特にすごいキャラクターがいる。通称春風。宮女の憧れる爽やか男だ。だがこいつは目上の男の大切な女つまり"所有物"を奪うことで自分を満たす (『バーフバリ』のバラーラデーヴァが良い例、また"街一番"のものがほしい『美女と野獣』のガストンも近い、トロフィーとしての女) 女性蔑視の権化だ、当然そこに恋愛感情もない、あるのは男そして男性社会への執着だけだ、むしろ女そのものを嫌っている典型的ミソジニーだ。なんかこの解像度は専門家つけたのか?怖い。もしあなたの近しい人間が自分の言動にまったく疑問を持っていないとんでもない差別野郎だったら、親しくしたいがわかりあえなかったら、という悲しい話でもある。ホモソーシャルボーイズクラブのミソジニーバーゲンセールが賑わう王宮で自分と同じ目線で自分を思いやり分けあえる人がそばにいてほしいよなぁなんて無理な話である。なんか恋愛と忠誠以外にも女には心があるって知らんのかな。一人が死んだらうん千万単位で命を脅かされる人間が出てくるみたいな状況をつくってはいけないんだよなぁ…家長に殺さないでくださいと頭を下げる子供、すべての責任を育ちが"悪い"母親のせいにする被害者面も踏まえやっぱりクソだね家父長って…1話の段階で"死なずにすんだ"子供たちの話であるとわからせてくるので面構えが違うんだみんな。男性の良心はドギムの兄ちゃんだけだよ…
前世や幼いときの運命的出会いに全神経を繋げていくthe韓国を無視して「だからなんだこんなとこじゃなんも意味ねえだろが」と突きつけた姿勢にびっくりした。最初クソ赤入れ場面ですげえ笑い方するイセヨン氏よすぎるのであれだけでも見る価値あった、歯茎を見せる威嚇とさほど変わらん。本読み会にお金を取って目標金額最後の1両をくれた人になぜ自分がお金を集めてるのか秘密を話す商魂、絶対どっかでもっと活かせたよ。人が死ぬ場面がほとんど映らなくてナレーション死ならまだしも、この人死んだんだろうな…と思う瞬間がなんともだった。デビが『悪の花』のヘスで感動いたしました。彼女の感情が恋情に近いのかただの支配欲の中にも同じ女としての共感が入っていて複雑な役で良かった。あの女、ドギムの赤い袖ごと手を握るシーンがあっておぉ…となった。なんかこの話…と思ったら『王の運命』で見たやつだった。先代王のだめなところが『ハウスオブザドラゴン』のヴィセーリスそのものでだめだぁこりゃ…と…
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