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赤い袖先(原題)のmoomooのレビュー・感想・評価

赤い袖先(原題)(2021年製作のドラマ)
5.0
【11/6ネタバレ・監督版追記あり】
大大大感動したドラマです。最終回まで、いや特に最終回が素晴らしい!!
宣伝文句につられて「甘い恋愛もの」として見始めると途中であれれ?となる方もいるかもしれません。
このドラマは宮廷の中で王として生きようとする男(達)と、それをとりまく王妃や側室、そして宮女達の生きざまを描いた物語だと思います。

「王になる自分は、決して卑しい宮女などそばには置かぬ」と決心していたイサンが、「ささやかな自分の選択を大事にしてつつましく生きたい」と願う宮女ドギムに出会い、恋をしてしまう。

権力を持つ者とそれに仕える者のふたりの恋愛が、到底同等の立場の恋愛にはなりえない、というところが描かれているのが本作の特徴だと思います。

(以下ネタバレ含む)

サンはひたすらドギムを想い、一途に追い求め、側室としてそばに置きたいと願う。
でもそうできるのは、彼がそれによって失うものがひとつもないから。
側室を持つのは王族の権利。王としての自分の人生は揺るがない。
だから彼は正室がいようと他に女性がいようと、堂々とドギムを追い求め愛の告白をすることができるのです。

でもドギムはそうではありません。
彼女もいつしかサンを愛するようになってしまいます。
しかしそれは宮女として仲間とつつましい人生を送っていきたいと願っていた、彼女自身の生き方に反するものなのです。
王の愛に応じて側室になってしまえば今まで自分が持っていたささやかな自由をあきらめ、ただ王のために王を待ち子供を産むだけの人生になってしまう。
愛を取るのか、自分の生きたい人生をとるのか。
一方を取れば一方を失う。
だから彼女はとまどい葛藤し、彼から逃げようとするのです。
自分の愛を自分で否定しようともがくのです。

このドラマを見た方の中には サンの愛のほうがドギムの愛より大きいと感じる方がいるかもしれません。
でも本当にそうでしょうか?

サンがもし、ドギムを得るかわりに王位を捨てなければならないような状況になったとしたら?
彼は王位を捨てドギムを選んだでしょうか?
否、彼はつらくともドギムをあきらめ、王として生きて行くでしょう。
(事実彼女を忘れてファビンを大事にしようと誓ったり、ドギムの命が危なくても大妃にひざまずかずに法に則ろうとしている)
王であること、それが彼の人生の第一だから。

これと同じような選択を、ドギムのほうが一方的に迫られているのです。
宮廷の男は、だれもそれに気づかない。
たとえちっぽけな存在の宮女でも、彼女なりの生きたい人生があり、守りたい選択の自由があるのに。

このふたりの関係性、不公平性がわかってくると、俄然このドラマの後半のストーリー展開に共感できるようになってきます。
このドラマは(たとえどんなにジュノのサンが魅力的であろうと・笑)あくまで女性視点で描かれているのです。

悩んだあげく結局ドギムは愛のほうを選択する。それまでの自分の人生を捨てて。
でもその結果彼女が得られたのはサンの人生のほんの一部。
王であるサンが彼女のものになるのは、彼が政務の合間に自分の館を訪ねてきてくれる、ほんのひとときの間だけなのです。

自分のすべてをなげうってもサンのすべてを手に入れることができないドギムが、けっして彼に「愛している」という言葉を与えなかったのは、愛しても相手のすべてを手に入れられない切なさを、サンにも感じて欲しかったからなのではないでしょうか。

けれどもサンは彼女もまた自分を愛しているということを、自分の肌で感じていたと思います。
だから「まあいい、おまえは私のものだから」と許せるのです。

ドギムはサンを愛し、彼のために生きる道を選んだ。
けれど愛は得られても自分の人生を生きられなかった彼女には100%の幸せは訪れない。

現世でサンへの愛を選んだことに悔いはないが、来世ではぜひかなえられなかったもうひとつの自分の人生を歩んでみたい。
でもそこにサンがまた現れたらどうしよう。また惹かれてついて行ってしまいそう。
そうなったら困るから、来世では自分を決して愛さないでくれと ドギムはサンに請うたのではないでしょうか。

サンはそのときはじめて自分がドギムの人生を奪ってしまったことに気づきショックをうける。
彼もまたドギムのすべてを手に入れていたわけではなかったのだ…

ドギムは王の権力を愛せなかった。
しかし王のなかにいる、ひとりの男サンを愛していた。
あの日身分も分からず書庫で出会った、ひとりの横暴で勇敢な男を…

サンは死にのぞんで初めて自ら王の衣を脱ぎ、ひとりの男に戻る。
そしてひとりのただの男になったサンは、ひとりのただの女ドギムと初めて対等に向き合い、そして心の底から愛してほしいと願う。
そのとき初めてサンとドギムの心は完全にひとつとなり、ふたりの愛は永遠になるのだ。

そういう物語かなぁと 私は思いました。

人は愛を求め愛に苦しむ。
でも愛だけが人生を形作っているわけでもない。

愛のない人生は空しい。
けれど愛だけあっても自分の尊厳を守れない人生も苦しい。

そんなことをも感じさせてくれた、本当に素晴らしいドラマでした。

【11/6追記 ネタバレ】
ドギムの最期のセリフ 原作の訳を読んで理解しました。
あれは16話の夜明けのシーンからつながる言葉だったんですね。
ドギムは生まれかわるとしたら(宮女でも側室でもない)普通のひとりの女になりたいのです。
ドギムは本当は自分だけの夫を持ち、自分の子供は自分の乳で育て、お母さんと呼んでもらうような生活がしたかった。でも王の側ではそれはかなうことではなかった。
「でもあなたは王が良いとおっしゃった。だから良い王として生きていってください。私は普通の女がいいのです。(だから)本当に私を大切に思うなら来世では私を見かけてもただすれ違ってください」
原作ではそう言っているようです。
もしあの時サンがドギムと同じように「自分もひとりの男と女としておまえに出会いたかった」と言ってくれてたら…
ドギムの最期の言葉は「来世では普通の男と女として出会いましょう。お待ちしています」だったのではないでしょうか。
そう思うと最後のシーンにスムーズにつながるのです。
だからこそ、死に際してついに王であることをやめたサンは、普通の女として来世で待っていたドギムに受け入れられるのです。
なんだかすべてがスッキリ収まって自分の中で納得いったので追記しました。

ついでに…韓国の監督版見ました。(三割くらいしか聞き取れてませんが)
終盤カットされてる場面いっぱいありました。それを見るとドギムの気持ちがよく分かると思います。
特に子供が男の子だったら跡継ぎとして正室に渡さなければならないと嘆く場面…つらいです。ドギムは女の子だったら自分のそばに置けるので、本当は女の子を望んでいるのです。
でもサンは男の子だと期待しまくってウキウキと自分の字名まで考えている…あの場面はそういう場面だったのです。
あと、ドギムが倒れてから臨終の場面の前にもサンとのふたりの場面あります。だからドギムはサンとは充分別れを惜しむ時間はあったから、最期に友達のほうに会いたかったのだと思います。
(その前にお兄さんにひと目会いたいと言っているし…涙)
あ~カットしないで欲しかった! いい場面ばっかりなのに。
カットしないで18話くらいにしてほしかったです!

多分韓国では原作も有名だし時代背景も分かってるので理解しやすかったのでしょうが、日本人には難しいところもあるし字幕の問題もあるので、ドギムの心情を誤解してる人が多くてちょっと悲しいです。
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