ゴトウ

ナンバMG5のゴトウのレビュー・感想・評価

ナンバMG5(2022年製作のドラマ)
4.0
難波最強!!原作マンガを好きで読んでいたのを差し引いても面白く観られた。最後の二話とかは結構泣けたし。『今日から俺は!!』のヒットを受けての企画のように見えて…というかそれもあるのだろうけど、映像作品としてこちらの方が真摯な作りに見える。トンチキなビジュアルをそのまま再現して「そりゃ何やってもトンチキだよね?」という開き直りで主にムロ佐藤がバラエティ番組ノリでふざけ倒す「福田劇場」との差として、ビジュアルは一旦おふざけだが原作の物語性はきちんと引き継いでコンパクトにまとめ直している。そもそもヤン服、特服は「時代遅れ」と劇中ですら揶揄されるし、そういう時代遅れヤンキー家庭で育てられた剛を表現する舞台装置としてきちんと機能している。福田雄一をディスりたいわけではなく(ディスりたいけど)、そんなに諦めなくても実写化って面白い物にできるよね、捨てたもんじゃないよねという話。加えて、喧嘩と勉強、家庭と学校、「場の倫理」に抵抗する剛の物語は、リモート/ローカルを行き来する時代のドラマとして極めて今日的でもある。マスクで顔を隠して…とか生まれた家を呪って…とかもそうですね。

そもそも「公衆トイレで特服に着替えると誰もシャバい剛と同一人物だと気付かない」という設定自体が無茶なので、間宮祥太朗が高校生に見えないとかそういうツッコミは野暮というか無意味。キモは剛が生まれた家や環境とどう折り合いをつけるのかという部分にある。誇張しまくったヤンキー漫画的記号はギャグであると同時に逆・高校デビューのシミュレーションで、それまでの過去や生まれた境遇と決別することは可能なのかという問いを投げかける。『ナンバデッドエンド』はかなり重苦しい話が続くが、『MG5』と『デッドエンド』のエピソードを組み合わせて毎週息抜きも挟みつつ、徐々にヘヴィーになっていくシリーズ構成も上手かった。加藤諒とか神尾楓珠とか、見た目が似てるかどうか以上にキャラクターとして説得力もある。誰が好きになるんだという邪悪ヒロインだった藤田さんもややチャーミングなキャラに仕上がっていて、森川葵が可愛いのでヒロインは原作より良かったくらい。でも本広監督(か佐々木敦規?)のお気に入りのももクロはめちゃめちゃ綺麗になっているなとは思ったけど、残念ながら百田夏菜子以外浮いていた。原作でも集まって一人分くらいのキャラだったし一話限りのゲストキャラだからいけるという判断だったのかもしれないけど、ちょっと他の俳優には追いついてなくてライブ中のミニコントに見えてしまった。演技仕事の場数を踏んでいるのもあるのだろうけど、役者としてはリーダーが頭五つ分くらい抜けていてグループ内格差が露骨。

正体を隠して友達や学校のために戦う剛には変身ヒーロー的な側面もある。自分や友達に降りかかる暴力の火の粉を相手と同じ、しかも自分が縁を切りたいと思っているはずの暴力によって振り払うわけだから、この辺りはほとんど仮面ライダー的。特殊な家庭で本人の意図に反して暴力の行使を要求(もしくは期待)されて育ち、ざっくり「ヤンキー」という敵と同じ属性でありながら暴力を憎みつつ行使する。力のない者を救おうとしても、感謝されるとは限らない。最終話手前、高校デビューなりきりヤンキーの島崎とのやりとりが本当に泣かせる。出自からして否応なく暴力の行使を余儀なくされてきた、そして恐怖を感じることもなかった剛と、ヤンキーに憧れながら「あいつのこと助けたいけど怖くて動けない」と震える島崎の対比。全てが明らかになったあとでもなお、剛が島崎に/島崎が剛に友情を感じることが可能かどうか、異質な他者の異質さを認めてわかりあうドラマの盛り上がりがピークになった最終回一話前が一番感動的だったかも。ヤンキーはスクールカースト的なものの外にいる部分もあるから、校内の人間関係の交わらなさみたいなものはスルーされているとも言える。原作から引き続いてのものなのだけど、美術部と野球部があんなに対等に仲良くやってる場合もあるものなのか?とか。いやあるだろうけれども、今日の学園ものとしては校内に微塵も分断が見えないのが不思議ではある。が、それもヤンキー/パンピーの軸があるから潔く切っているとも言える。関口くんをねたんでいじめる他校の生徒のエピソードがきちんと拾われているので、非ヤンキーの世界にもそれなりの理不尽や残酷な暴力が存在する可能性もある。関口にせよ島崎にせよ、特服のように鉄拳制裁はできなくても声を上げて怒りを示すことはできるというのはある種の救いといってもいいだろうし。そのどうにもならない部分で助けてくれる、後押しをしてくれる力を持った存在という意味では、剛はまさしく変身ヒーローそのもの。

全てがやりすぎヤンキー文化に置き換えられているだけで、「うちの病院の跡を継ぐのはお前だ」とか「兄さんと同じように東大に行きなさい」とかいった種類の圧と、難波家の「全国統一!難波最強だべ!」の圧は本質的には変わらない。避けられないと当事者は思いがちだし、経済的には家族に依存せざるを得ない(場合が多い)年齢であればなおのこと、家庭内で自明とされる価値観に馴染めない子どもにとっての家族関係は自分自身にかかった呪いのように感じられることは不自然ではない。「家族に嘘をついた」となじられた剛の「俺が初めから普通の高校生活を送りたいって言ったら認めてくれたのか?」という叫びは、外見が特攻服のトンチキヤンキーであることの一点を除いて痛切なリアリティを伴って響く。見た目が特服なだけで実質変身ヒーローと同種の感動を伴っているのもそうだけど、「ビジュアルのみで言えば笑えるものですらある絵面が、文脈の中で感動的なものになっている」という僕が一番弱いやつなので泣けて仕方ありません。剛が素晴らしい生徒会長だったからみんなが団結して退学撤回を要求しました、という流れもやや素朴で、「銀子のクラスの奴らはどうなったんだよ」とか「ヤンキーに迷惑かけられた側からしたら許せないだろ」とかそういう問題含みではある。生徒指導と校長はマンガ読んだ時はあまりにご都合ヒールすぎる気もしたけれど、今こんだけ学校での不祥事とかが出てくると誇張しすぎとは言えないかもなあ。

原作が良すぎるのか?という気もする一方で、10話にまとめたシリーズ構成やアドリブ込みでかなりフリーダムに解釈されたキャラクター、特に難波家の食卓シーンはより生き生きとした画面作りに寄与していたはず。鈴木紗理奈とかほぼ素じゃないかと言いたくなる場面も多かったものの、終盤での家族のぶつかり合いのあたりはしっかり重苦しい気持ちにさせられたのでちゃんと「ドラマ」を撮ってたんでしょうね。福田雄一ディスじゃないよ。

映画化しようとしていた(けど頓挫した?)みたいな噂もあって、最後のまとめはドタバタな気もしなくはない。「ヤンキーマンガその後」的な猛についてももう少し描いてほしかった部分はある。「全国統一」したとしてその後に何があるのかというと、どこかで折り合いをつけて社会の成員となるか、もしくは完璧にアウトローになるのかという選択を迫られざるを得ない。パンピー/ヤンキーの間にあったような境界はより明確かつ往来不可能に近いものになっていく。難波夫妻はちょっと柄は悪いけど真面目な勤め人と主婦として、猛はどっちつかずのまま生きている。改造してても学ラン着てるような(剛は特服だけどね)ヤンキーは、剛ほど極端ではないにせよ、曖昧でどっちつかずな存在ではある。いずれ外部とどのように接続するかを迫られるのなら「シャバい」道を選んだ剛の考え方はリアリスティックとも言えるし、なんだかんだ喧嘩に首を突っ込み続けたという意味では本質的には他のヤンキーと同じく中途半端な存在であったとも言える。せっかくなら原作を超えてその先が見たい気もするけれど、剛たちを卒業させてしまったからこれ以上は展開できないような気もする。映画はともかく特別編が放送されるらしいから、それで我慢するしかないか…。月並みな言葉で言えばその場にはその場の地獄があるというか、どんな場にも支配的な規律があってそこに息苦しさを感じる場合があるというか。対面/リモートで学校という場が捉えられたりとか、陽キャ/陰キャであったりとか、とかく二元的な物言いが加速しているとも思えるこのご時世、マスクをつけて戦う特服ヤンキーのドラマが投げかける問いは意外なほど大きい。スクールカースト的なものもそうだけど、ヤンキー/パンピーの反転だと『ケーキの切れない非行少年』みたいな層を拾えてないのも事実ではあって、広島編でヤクザの息子にこき使われてる男の子(名前忘れた)とかはそれに近い。「アホ」ってことで処理してしまって良いのかという。

普段愛聴することはないWANIMAの曲で泣かされるとは思わなかったよ。気合い入ったドラマ撮んじゃん。水ダウと今田美桜主演ドラマ(しかもバブル世代が1話くらいはチェックしそうなリメイク)相手に頑張ったと思うんだけど、視聴率で見るのもう古くないですかね…?島田のおばちゃんと猛の彼女は本筋にこそ絡まないけど原作ファンの納得度高そう。ファーストサマーって絶妙なキャスティングだよなあ。あと出番少なめながら森本慎太郎も好演。鼻の骨折大丈夫?

最終回後の特別編は、ほとんど総集編に近いものに申し訳程度の撮り下ろしパートをくっつけたもの。津田健次郎の姿をドラマで見ることが増えたが、今作でもねじこまれていた。かっこいい。「剛と出会ったことで人生が変わった」と伍代と大丸が話すパートが差し込まれるように、剛から影響を受けた人たちの後日談的に見えなくもない一方、それなら関口や横浜のレディースもちょっとくらい扱ってくれやと思わなくもない。あと、尺的に仕方なかったかもしれないけど校長はかなりひどい人という描写に終始していたのでフォローしてほしかったかも。藤田さんからの手紙を読む場面すらないあたり、恋愛の描写は徹底的にふわっと触れるだけにとどめたドラマだったと再確認。実際のヤンキーはもうちょいただれてんじゃないの?という偏見がありますが、こんな剛みたいなウブヤンキーいるのかね。
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