harunoma

silentのharunomaのレビュー・感想・評価

silent(2022年製作のドラマ)
4.0
silent, a quiet life
濱口竜介の時代、5話でネタ切れっぽいです。イヤホン難聴の可能性を捨てきれないドラマ。川口春奈のための中年期のキャリア形成へ向けた仮面浪人のような企画のドラマ。

坂元裕二と『リリイ・シュシュのすべて』に影響を受けたという若手脚本家による極リアル常識版新海誠。
0年代前後生まれの無風の凛々しさの痛ましさよ
何か影がある、ほとんど歴史のない
倫理と無限。

デジタルシネマカメラにおいて、もはや濃縮の密度と尺の違い以外に邦画とドラマを分けるものはない。それにしてもスピッツはオールディーズか。

不意打ちの障害の秘密と失われた時間と仲良し三人組み。
このいたたまれない、からっ風若者の現代劇はショットの質感とともに、濱口竜介であり、時代はようやく、このトレンディ生真面目感に追いついたのか。

最果てがサイレントという体の良い忘却。慟哭のような涙の顔のクロースアップ手持ちが、まさしく現代のグリフィス風。情動を感じる。声を出せないことが、脱力的な諦念の構えをすることを許してはいけない、むしろサイレント映画は聾者の殺人者であるかも知れないのだから。演出上の覇気を。
放っておけば、スマホを黙っていじっている二人の若者のような画になる、しかし妹には声で話せるのだから、一方が文字起こしアプリで、一方も普通に話せばいいのでは?
伝える言葉そのものが主題で、遅々とした文字起こしアプリや口にしながら書く自分の声を聞く手紙のように、一行一行の言葉を両者は噛み締めてコミュニケーションをしなければならない。文字起こしも手話も、しかし、その人の顔と口からの声を同時に見ることを不可能にする。文字起こしならスマホを、手話なら顔の表情もあるが、しかしそれは身振りが中心だ。想の最後のお願いであった「名前を呼ぶ(君の)顔の声を聞く」ことはやはり視聴覚に同時に、リップシンクというトーキーの属性に寄っている。だから尚更、ほとんどない想の声が感動的なのだ。そのため、セリフだけ聞くながら見もできず、ドラマを見ることの集中を強いるいい側面もある。

しかし悪い意味で顔が定まらない顔たちは、別にアジア的なことではなく、A24でもそうなのだから、同一性のないその時々のシーンに変わって見えるくらいに固有名が消えた顔たちが主人公のドラマを、物語の主題とは関係なく受容するその軽さを作り手も見るものも、誰一人として自覚的ではない。


不埒な無謬の内に川口春奈が戦略的に引き受けたドラマを、長崎県五島列島出身の矜持として後世語られるのだろう、噂に違わずようやくいい。
吉岡里帆の『見えない目撃者』を対峙すべき。

その他亡霊のような青年たちは無火として、
母親の篠原涼子、兄の友達とはいえ先輩にタメ口の桜田ひよりの二人が凄まじくいい。
ほぼその二人だけが緊張感として映画のショットになっている。
夏帆、風間俊介と、脇役の土台が中心を囲む。
えてして主演の若い3人がダメなのではない、あくまでも無風の寄る辺ない戦後に取り残されてるだけだ、しかしそれにしてもこんなことで、というより不意打ちの障害など世代の問いではないのだし、しかし今さら世界系のようにただ音のないものを、とりあえず川口春奈は引き受けている。No Music ,No Life なる寒々しいクソカルチャーの廃墟を正面に見据えつつ。
そう、字幕ありのサイレント映画はやはり素晴らしい。聞こえないのではなく、声を出さないということ。それはしかし、彼らが思うほど異常な、もはや話ができない悲劇ではまったくない、観客にはご丁寧に字幕がついている(途中では川口自声の音声解説)。「あなたが何を考えているか分かっているわ」というマネはここでは、壮絶な夕景の都市の歩道橋の随に立ち尽くし、どうにか引き留め近づこうとする川口春奈の存在だけに宙吊りに第一話を終える。

それにしても、高校でも大学でもなく、中学生のようなカップルだ、両方とも。鈴鹿央士がとんでもなく駄目にやばい、これでは成立しない弟以下だ。本当に気持ち悪く、薄気味悪い笑顔。

手話の時、カフェの人声や環境音を消し去るのは、逆に閉鎖的な世界で卑劣ではあるが、不可思議に特別。なぜタワレコでも店内は音楽が流れないのか。
川口春奈は周回遅れの吉岡里帆と綾瀬はるかとなり、その実、全員年下という草刈り場。
音が聞こえないとは、いつまでも見ること身振りを見ることをしなくてはならないが、彼らもまたスマホ中毒者であるのが哀しい、こと聴者との連絡では。
世界の人声や環境音を消し去る演出的手捌きは、彼らの主観的真実かも知れないが、世界そのものの音をその他として消し去る権利は、ドラマでも演出側にあるはずがないのだから、フジテレビは腐った人工物のままだ。だからこのことは、本当は『SHOAH ショア』の理髪店並みに卑劣であるはずだ。なんと小さな個人の主題が、全世界の出来事として放送・配信されている。東京ではなく、五島列島で撮って。
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