YasujiOshiba

THE DAYSのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

THE DAYS(2023年製作のドラマ)
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ネトフリ。見始めました。あの時を思い出しながら引き込まれてます。

6/5
さっき最終回まで見た。途中で何度か落涙。ここには現場が描かれている。巨悪があるわけではない。欠陥を論うわけでもない。なにかを批判しようとするのでもない。ただあのとき、あの現場で、わけのわからない状況に投げ出された職業人たちのリアルがある。

そのリアルは、ぼくが個人的にあのときに経験していた混乱、恐怖、使命感、怒り、やるせなさ、そして疲労と響き合う。それは加藤典洋が「背骨が折れたような」と形容した経験なのだけど、にもかかわらず書ことする加藤の心意気とも響き合う。

プロデューサー増本淳へのインタビュー記事が東京新聞に載っているけれど(https://www.tokyo-np.co.jp/article/254244/1)、フジテレビをやめてこのドラマに挑んだ増本は、そのときのリアルを「理路整然としてない混乱」だと評する。

全電源喪失という事態であらゆる計器がダウンする。何も見えない。闇なかで原子炉の暴走を制御しなければならない。ぼくらがはっきり目撃したテレビ画面の水蒸気爆発。しかし現場では見えない。ただ感じられただけだなのだ。

その闇からいかにして抜け出してゆくか。「ぼくらはただ黙々と水を入れ続けただけだった」という。そのセリフが「理路整然としない混乱」を抜け出す術を教えてくれる。ただ冷やすこと。水を入れること。その水が入らない。格納容器の圧力が高すぎる。ベントしなければならない。その位置がわからない。わかったと思ったら近づけない。放射線量が高すぎる...

脚本には、現場の経験者のアドバイスが生かされている。理路整然とまとまっていた脚本は、理屈以前にある混乱を描くようにシフトしていったという。だからこそ監督のひとり西浦正記は「我々が日々紡いだ気持ちを残した“映像”です」と言う。

そして、史実に基づく映画は初めてだという中田秀夫のホラーの手法が冴える。洪水で閉じ込められる恐怖、原子炉建屋の内部の線量計測器のビープ音と闇、マスク越しで曇る視界... 。なるほど中田はホラーだけの監督ではない。映像をリアルにせる見せ方をよく知っている。とりわけ「理路整然としていない混乱」を、じつに理詰めで映像にしてくれている。だから引き込まれる。

ぼくにとっては、ドラマ『チェルノブイリ』(2019)に肩を並べる作品。あれを見たときは、同じものが日本の3/11の原発事故でやれないものかと思った。思ったものとは違うのだが、あのドラマとは違うものとして肩を並べたと思う。

告発はない。啓蒙もない。英雄もいない。あの政治家たちも、電力会社の幹部たちも、委員会の官僚たちも、ただ狼狽えるばかりで、目を泳がせ、大声を出し、呆然とする。だれもが敗者なのだ。もちろんぼくたち観客も。

役所広司をはじめとする俳優たちは、そんな敗北のリアリティに生きる者たちの、みごとな依代となった。音楽もよい。特殊効果もリアルのための特殊効果。そこに立ち上がる物語のない物語のリアル。

映像芸術にはこれができる。あのタヴィアーニ兄弟は、ロッセリーニの『戦火のかなたに』を見て、ああこれがぼくたちの生きたリアルだったのだと驚嘆し、映画監督を目指したというし、映画はイタリアの歴史の一部となった。

ネットフリックというプラットフォームに結集したアーティストたち。彼らがここに、あのロッセリーニの仕事を再現してくれている。そしてその仕事には終わりがない。だってぼくらはみんな、あの時と連続している「日々」(the days)をなおも現在形で生きているのだから。
YasujiOshiba

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