ゴトウ

だが、情熱はあるのゴトウのレビュー・感想・評価

だが、情熱はある(2023年製作のドラマ)
2.0
発表された時はふざけるなと思い、観始めたら意外とええやんと考え直し、途中からやっぱりダメだった。何がやりたかったのかよくわからない。ジャニーズ事務所のゴタゴタも間が悪かったし、すごいすごいと言われていた演者による漫才完コピも作劇上すごく機能していたかというとそんなこともない。まぁ喜んでる人もいるんだろうけど…という違和感が、最終話の賀屋の拙いラップで頂点。だんだんnot for meという確信が持てるようになる変わったドラマだった。日本版『Sunny』で持ち込まれたクソ嫌いな演出を最終回に持ち込まれたので、腹立たしくすら思う。シリーズ構成も意味不明で、「演者と話す山里や若林」まで森本髙橋に演じさせるのも寒い。結局ラジオリスナーなりジャニーズファンなりの外的な要素に支えられないと企画として成立できないと認めてるようなものでは。森本慎太郎くんと戸塚純貴くんはとても良かったので、今後も追いかけていきたい。

実話を基にしつつも微妙に人名が変わっている(サトミツ→スズタリ、マエケン→タニショーといった具合)ので、「若林山里はあくまで材料として一本の物語を作ろう」という心意気なのかなと思っていた。のだけど、ところどころに本人が出演し始めたあたりでおやおや?となり、「クリー・ピーナッツ」というクソみたいなもじりで「あ、これスベってるだけか」とやっとわかった。若林山里に関する「いい話」をやるなら再現VTRでいいし、サトミツやクリーピーナッツの名前を出せない理由は本来ないはず(イヤなことを言ってきた吉本社員の本名はさすがに出せない、とかはあるにしても)。藤井青銅や渡辺正行が本人役で出てくるのに何か意味があるわけではなく、瞬間的な盛り上がり以上の思惑もあるようには思えない。若林山里周りの「いい話」でやるならしずちゃんとの和解をあんなサラッと流さなくても、若林がラジオで春日事件の収拾したとこカットしなくてもとか、そもそもなぜたりないふたりの企画終わるのかがわかんないとか、とにかく絶妙にツボを外している。

山里や若林のエッセイ、各々のラジオで知っているエピソードが扱われたら確かに上がるけど、それ本読むなりラジオ聞くなりすれば十分だし。『社会人大学』なり『ナナメの夕暮れ』なりのなかの「成長(あるいは諦め)」みたいなものを真ん中に据えてまとめ上げるわけでもない。といって、氷河期世代、3.11やコロナを経た日本の40代男性として山里や若林を捉え直すわけでもない。若林にも「春日が美化されすぎ」とか指摘されていたけれど、とにかく描きたいエピソードや取捨選択ができていない印象。サラッと流されてたけど、「夜道でやり場のない怒りをぶちまける男を目撃する若林」みたいなところを膨らませることもできたはずなのに。そもそも「たりないふたりをドラマにしよう」だけの企画で描きたい物語がないからこうなるのではないか?だからこそ「髙橋海人と森本慎太郎に対面する若林と山里」までやりだす(しかもそこにはなんの機能もない)し、突如若林のエッセイの朗読ベースで話が展開し始めたり、散々引っ張った各々の恋人周りの話がバッサリ終わって突然ドラマのモードが変わったりする…。なんかしらのフックを毎週用意してればいいってもんじゃないから!ご本人登場とお笑い芸人のキャスティングで1クールもたせるのは無理!1クール観たけど!

主題歌やらせてもらえるわけでもなく、クソ寒いもじりまでされたクリーピーナッツは怒ってもいいのでは。かが屋とクリーピーナッツ似てるじゃん!とか、有吉の壁でやる分にはいいけどさ…。名前どころか女性に変えられている安島氏、たりないふたりの立役者であるはずがこのドラマの中ではまるでいる意味がなく、ただただ使い方を間違えた薬師丸ひろ子のウソくささ、白々しさだけが残る。まあでもこれで泣いてるリトルトゥースもいるんだろうし、若林がラジオで褒めてるからいいんだって感じなのかな。推しが好きなだけだし!とジャニ喜多のレイプを矮小化するジャニオタと変わらないな〜もうアイドルだもんね山ちゃんも若ちゃんも。

「森本髙橋に挨拶される山里若林」を森本髙橋に演じさせる構成も、二人の消費の仕方をここからはこういう風に美化して整えていきますと宣言しているようにも思える。「沖田総司=イケメン」みたいに、実態と近いかどうかとは別軸でわかりやすくて口当たりが良いものになっていくのだろう。
ゴトウ

ゴトウ