きゃんちょめ

捕食者の世界のきゃんちょめのレビュー・感想・評価

捕食者の世界(2022年製作のドラマ)
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【過去が過去の資格で力をもつ人間特有の事態とはどういうことか】

「アッテンボローという人は自然界の様々な映像作品で有名な人で、ご存じの方も多いと思いますが、彼の或る著作によれば、死肉、つまり死んだ動物の肉や腐り掛けの肉を漁るという評判のハイエナですが、本当はハイエナはニ、三頭のグループでヌーを、また、もっと大きな群れをつくってシマウマを襲い、それは苦労を伴う狩りをするそうです。そして実に、力の強いのをよいことにハイエナを追っ払って、もはや殺された獲物を頂戴することもするのが、かの百獣の王、ライオンだということです(『地球の生きものたち』日高俊隆他訳、早川書房、昭和57年、277-278頁)。さて、この横取りを皆さんはどう思われるでしょうか。『猿カニ合戦』の発想でゆけば、ライオンは怪しからん、ずるい、とかいうことになりましょう。ですが、これは人間の発想、ライオンやハイエナを人間のような存在に見たてての発想です。ハイエナにとっては、逃げようと走り、時には手向かうヌーが自然の恵みであり、ハゲタカにとっては死にゆく動物こそが自然の恵みであるように、ライオンにとって、無傷のヌーもハイエナが倒したあとで地面に横たわるヌーもどちらも自然の恵みです。ヌーが成長してハイエナやライオンにとってたっぷり食べでのある大人のヌーになったことそのことが自然の恵みであると同様に、そして、そのヌーの成長のために草原に雨が降り草が生えることが背景としての自然の恵みであると同じように、ヌーを倒すハイエナの活動もまたライオンにとっては自然の恵みの一部、地面に横たわるヌーの背景としてもはや埋もれてゆく自然の恵みなのです。私は先に「横取り」という言葉を一旦は使ってみましたが、ライオンが横取りとしてハイエナに不正を働くというなら、ハイエナはヌーに命を奪うことでもってもっと大きな不正をヌーに対してなすのだとでも言うのでしょうか。動物の世界で、ハイエナがヌーを倒したという過去は何の効力ももちません。確かに現在というものは過去に規定されてあるわけですが、その過去は過去としては消えて、その過去をいわば完全に消化して全き現在としての事柄があるだけです。倒れたヌーはハイエナの活動抜きにはあり得ないのだとしても、ハイエナに倒されたヌーと、仮に尖った岩か何かに足を痛めて倒れた間抜けなヌーがいたとして、その過ぎた時間における違いはライオンにとっては区別のない事柄です。どのようないきさつによるのであれ、現にいまヌーが倒れているということだけが重要です。ヌーの間抜けさに遠慮が要らないと同様に、ハイエナにも遠慮は要らない、ハイエナの過去の活動を一顧だにする必要はライオンにはないのです。ハイエナはと言えば、ヌーをやっつけるために既に力を使った分、ライオンとの現在の争いには不利になるだけで、ヌーを倒したことが手柄として、いま通用するわけではありません。
 ところが、人間の世界では、過去が過去の資格で力をもちます。過去による現在の支配、時に過剰なまでの支配は、いたる場面でみられます。私が畑を耕し、種を蒔けば、収穫を刈り取るのは当然に私だと見なされます。過去に殺人を犯した人は、もはや決して殺人などしない人間となっていても、いつまでも殺人者として見られ、現在に影を落とします。反対にオリンピックの優勝者はその栄光をバックにその後の人生を歩んでゆくことができます。短い時間の尺度では、責任を取ったり報酬を受けたりするのも、やはり過去との関係において現在や未来の在り方を決めるからです。」

(松永澄夫著「おとぎ話が教えてくれること」p.35-p.36)
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