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THE CURSE/ザ・カースのmasatのレビュー・感想・評価

THE CURSE/ザ・カース(2023年製作のドラマ)
3.6
アメリカ人が一番“弱い”ところを突く、瞬間がある。

のんべんだらりと、だらだら見てしまったが、画期的に凄いところはないにしろ、そんなゾッとする瞬間を見せ、キモく、コワい。
個々人のこだわり、曲げられない信条、生活、日常・・・
その象徴として“呪い”と言う実態のない現象?が、目に見えつつある(のかないのか)と言う事だろう。
何かに苛まれているのか?
自分たちは、自分たちの日常は、“正しい”のか?を、ダラダラと見る側へと忍び寄せ、居心地の悪い状態に、こちらを陥れていく。

調子に乗っているエマの、存在そのものが禍の様に見えてくる。
彼女とA24の感度を盲信するのであれば、
これが今、最もイケてるキモチ悪さだろう。
90年代、リンチやソダーバーグを吸った人間の21世紀型悪意の結晶。


後半

不穏でイラつく。カメラのズーム、そのしつこさ。音楽の意味のない重低煽り。そのすべてが芸術的とも表現できる。

大した作品を創ってない、蝙蝠男や原爆製作者を撮った監督曰く「これまでテレビで見た事のない様な作品。前例のない作品は、本当に少ない。まるでツインピークスだ」。

カタルシス0なのが、驚く。
と油断していると第8話のラストが(またしても)意味もなくグッとくる。インディアン女のズームアップカットからのエマの運転カット、さらにゴミ収集車に砕かれるインディアン像、その収集車がゆっくりと前進する。こんな他愛もないシーンが、ヤケにグルーブし、映像的盛り上がりを創る。そんな意表を突く瞬間が、突然現出するから止められなかった。

地上の地獄
持続可能なパッシブハウス
カーボンニュートラルに町をかえられるか?

2024.05.24
最終回

かつてないドラマ、
を私は観たのだろうか?

冗談でしょ?いや本気だろ?
笑える訳でも怒る訳でもない、よく狙いが解らない展開がダラダラ続いたが、
ラスト、
持続化可能な理想空間を(俄かに)追い求めていた男が、人類の“澱”の様な“気”を一身に背負い、宇宙の果てまで舞い上がっていく話だ!と言っても誰も信じてくれないだろう。
唐突に勃発する第10話は、スーパーナチュラルなんて言う生易しい表現では、到底表現出来ない。

こんなドラマを全10話、10時間もの時間を浪費させようとする企みを実行したプロデューサー・エマ・ストーンとA24、そして、冴えない外見のユダヤ人コメディアン(深掘りしたくなった)ネイサン・フィールダーの確信犯的実行力は、笑いとワンダーを欠落させた21世紀のツインピークスと言える、のだろうか?

兎にも角にも、10時間、古臭いシンセ・サウンドの不穏さに塗れながら、我々人間のミニマムな異様な姿をジッと見つめ、やがて完走した時に訪れるセンス・オブ・ワンダーは、永遠にこびり付いて離れない。
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