夏藤涼太

パーセントの夏藤涼太のレビュー・感想・評価

パーセント(2024年製作のドラマ)
4.2
#1話
「まーたNHKお得意の多様性系番組か」と思いながらも見てみたが、まさにそんな「上からの多様性の押し付け」を揶揄するようなメタ的な内容で、面白かった。

特に、ハルを始めとする障害者を「障害者」という「レッテル」でしか見ていなかったナチュラル差別主義者の主人公吉澤が、自身もまた、「吉澤」という「個人」ではなく、「若い女性」という「レッテル」でしか見られていなかったことに気づくくだりは、痛快ですらあった。
しかし吉澤の差別意識は、自分自身すらを「正しくないクレーンゲーム女子」と認識(差別)して恥じてしまっているように、社会によって醸成された一種の「呪い」でもあるので、「個人の差別意識」と簡単に避難できるものではない。

本編内でも言及されていたが、BBCや各企業、そしてポリコレ映画と揶揄される欧米の映画で、「ノルマ」的に――ただ「パーセント」を満たすための「数字」としてマイノリティが投入されているのが、現代の「多様性社会(笑) 」である。
そんな社会や文化内で暮らしている限り、人は他者を障害者なり、有色人種なり、性的マイノリティなり、若い女性なり…なんらかの「レッテル」としてしか見ることができず、「個人」として見ることなぞできやしないだろう。

近年の日本でも、数年前に聴覚障害をテーマにしたドラマが話題になったけれど、あれも同様の印象を覚えた。
障害者が「障害を持った人」としてしか描かれていない。
それはどういうことかと言うと、パーセント 1話の言葉を借りて言うなら、「根本的に人間を描くという意識が欠如している」ということだ。
(もっとも、本編のこのセリフがどのような意図で発されたのかは1話時点ではわからないが)

ちなみに、聴覚障害をテーマにした恋愛ドラマは偶然にも?そのドラマの翌クールにも別局で放送されていたのだが…個人的には、そういう意味ではこちらの方がよほど素直に楽しめた。(いい意味で)障害者が障害者として描かれていなかったからである。

だが、ドラマとしてはこちらは全然跳ねなかったわけで……結局、障害をフィクション内でテーマにするのも、障害者の役を健常者が演じるのも、人間に根ざす差別意識というより、「資本の原理」に支配されているという方がきっと正しいのだろう。
本編内でも言われていたように、「障害者がつらい障害を乗り越える感動物語の方が売れるドラマになるから」、「障害者の役でも人気の美男美女の健常者が演じた方が売れるから」、あるいは「障害者のケアに経費がかかるから」……

新自由主義社会では、人間すらも、資本に置き換えられてしまう。
「多様性社会」なんていう近年の世界的潮流も、しょせんは、資本家や世間の支持を集めるための「ビジネス」に過ぎない。
だからこそ、マイノリティが「個人」ではなく、パーセントという数字を満たすための「レッテル」としてしか扱われず、結果として、どれだけ「多様性を大事にしましょう」と言われたところで、人々の意識から差別(区別)感情がなくなることはないのである。

故にドラマ パーセントは、まさに、視聴率ではなく受信料で、そして多様性や障害をテーマにした番組を多く作っているPテレ…もといEテレ・NHKだからこそ作れたドラマだと言えるだろう。
でも、NHK(国営放送)というよりも「民放のドラマ制作現場」感を若干覚えたのは…どうだろうか。

そんなわけで、2話も楽しみなドラマではあるが…欠点がなかったわけではない。
それは、ドラマ内で重要なテーマとなっているはずの「ハルの演技」である。

ラストのオーディションの演技だが……個人的には、響かなかった。
ただこれは、役者の演技力というより、演出の問題だと思う。
ハル演じる和合由依さんの素の姿を見ると、ドラマの役と全然違ってビックリしたので。

#2話
1話時点では「試みは面白いけどドラマとしてはもう少し…」と思っていたが、2話はドラマとして抜群に面白かった
何より、岡山天音が男女逆転させた企画の完成稿…一軍女子の車椅子者と三軍男子の恋愛ドラマが見たそうすぎる。パーセントの放送終わったらこっちもやってくれ

1話時点ではナチュラルに障害者を差別していた主人公が、「自分の人生を投影するつもりで自分事として考えろ」と言われ、障害者の演者と深く知り合った結果、「見たいドラマ」ではなく「作りたいドラマ」になってしまい、「上から目線の説教臭いドラマ」「テレビなんて見なくなる」「感動ポルノ」とテレビの外の人間から叩かれるくだりは、マジで高度なメタネタすぎて感心した
でも実際、今のNHKのドラマは社会派ネタでも「ドキュメンタリー」ではなく、エンタメとして成立させてるからね…マイノリティや社会派テーマと向き合い続けてきたNHKのこれまでの足跡を全4話に濃縮しているようで見応えがあるし、そこには「本物」がある

#3話
3話も地獄だった(面白かった)
プロデューサーも、作家も、役者も、そしてきっとわかりし頃の監督も…誰も作りたいものを作れていない。それが当たり前の世界。テレビの世界はとにかくスピード感が異常で、こなしていくだけで精一杯で、そんなスピード感の中で摩耗されていくと、熱意やこだわりのあった人もいつの間にかつまらない"テレビ人"になってしまう……というのはよく聞く話だが、今回は、それがよくわかる話だった。

このドラマのいいところは、それこそ本来テレビドラマだったら(わかりにくい、視聴上のノイズになると)修正されてしまうような、人や物事の多面性を描いているところである。
たとえば障害者を差別しているような発言を繰り返す監督も、ある一面では障害者を尊重している。
主人公吉澤も、若い女性ゆえに企画を採用された差別の被害者のように描かれながらも、実際、吉澤はプロデューサーとしてはどう見ても力足らずなのが見てわかり、"若い女性"でなければ企画が採用されなかったのも当然だと思える。
そして障害者のハルもまた、障害の有無に関係ない素晴らしい役者……というわけではなく、代役の健常者の方が演技が上手いという設定になっており、つまり、結局はテレビの世界は実力主義(淘汰社会)だということがよく見ているとわかる。障害者その他のマイノリティは、その淘汰に不利というだけで……海外の人種や宗教における差別のような"根源的な差別意識"は日本人には薄いんだろうなと。

本来はドラマや漫画では誇張して描かれるその辺の差別意識を、リアルに描いているのが素晴らしい。

#4話(最終話)
「わかりたいから、ぶつかる」、めっちゃいいキャッチコピー。
「人と人はわかりあえない。わかりあえたと思っても、またぶつかる。それでもぶつかるのは、その人のことを知りたいから。好きだから」「そしてぶつかることには、必ず加害性を伴う」という、吉澤が泥臭い戦いと内省の末に発掘したテーマは真理だと思う。

またこうして、まったく思っていた方向性と違う作品だったはずなのに、それを掘っていくことで、最終的に自分にとって大切な何かが見つかるという営為。それは創作における最大の喜びであり、快楽であり、目的でもある。

ドラマ #パーセント では「障害」というわかりやすいテーマが全面に押し出されているものの、しかし本作に描かれているものは、一貫して、創作の困難と喜びである。
まさに、ドラマ内で、健常者も障害者も関係なく人と人としてぶつかる…というテーマが劇中ドラマで描かれたように、障害を扱った作品を作るにしても、健常者しか登場しないにしても、そこに描かれる困難と喜びは、何も変わらない。

タイトルのダブルミーニング回収もよかった。この先も、NHKの攻めた、社会派な…だけどエンタメなドラマに期待。
夏藤涼太

夏藤涼太