みや

負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~のみやのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

【日本人としての矜持】

戦後、GHQに占領される動乱の日本社会を立て直し、強力なリーダーシップと外交力で日本を独立に導いた吉田茂の後半生を描いた歴史ドラマ。

毎話冒頭に「このドラマは歴史に基づいて作られたフィクションです」という但し書きが表示され、一部に創作・演出が加わっていることが示唆されるが、大まかなプロットは歴史的事実が忠実に反映されている。

吉田
「遺産をもらい、大学を出、外務省に入った。ムッソリーニに会い、チャーチルにも会った。ところがどうだ。こんなくだらん戦争を止めることもできなかった。何もしてやれぬまま女房も死なしてしまった。息子や娘に顔向けもできん。大切な友人も見殺しにしてしまった。信じてきたものも、何もない。俺には何にもない。この焼け野原と同じだ。だがな、戦争では負けたが、俺たちは奴隷になったわけじゃない。負けは負けだ。もう一回ここで勝負だ。外交で勝つ。泣くな! 日本の男は顔で笑って心で泣くんだ」

こうして失意の底から始まった吉田茂(渡辺謙)の外交は日本人としての矜持を忘れぬ強気な姿勢で描かれる。

戦争の放棄と日本の独立のため、幾度もダグラス・マッカーサー(デヴィッド・モース)と対峙するシーンが盛り込まれるのだが、二人の息をのむ掛け合いは重厚感のあるドラマとして物語の大きな焦点となっている。

常に対角に居座る存在として描かれるも、互いへのリスペクトを欠くことはなく、次第に戦友となってゆく展開はある種のバディ作品としても楽しめるだろう。

一方で、吉田が覚悟を持って理想と現実の狭間で折り合いをつけていく様には、残酷なまでに敗戦国としての無力感が表現されており、心が締め付けられる。

本作は戦後の外交という歴史に基づいた大きな物語が主として展開されるが、サブプロットに坂元裕二の独自性を見いだすことができる。

例えば、吉田茂とマッカーサーがそれぞれの家族と過ごす姿を対比させることで、多角的な人物造形に成功している。

一国のトップに立つ重みとそれ故にないがしろにしてしまった家族への愛情の交差しない具合が切なくも、一蓮托生である「家族」という共同体の性質を鮮明に描き出している。

また、在日米軍将兵を相手にした街娼、通称パンパンとなった女性・日野に着目し、声なき声の叫びとその後の人生の行方を炙り出した点においても、『Mother』以降の社会派ドラマの書き手としての坂元裕二の側面が垣間見えるだろう。

日野
「男の人らは戦争が終わったら復興じゃ言う。だけど、うちらの戦争はまだ続いとったんよ。放り出されて、パンパンになるしかなかったんよ。何人も死んだ。病気になって川に捨てられた。兵隊さんとおんなじよ。それを、国のために死んだと言うんよ。あんたら役人はそう言ってすぐに綺麗なお話にするんじゃ。だけど、うちらみんな知っとる。うちらに股開くように命令したんは誰よ。米兵に股開くように命令したんは国の者なんでしょ。抱きんさい。あんた抱きんさいよ。あんたらと違うて、うちらの戦争はまだ続いとるんよ」
みや

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