タケオ

コブラ会 シーズン1のタケオのレビュー・感想・評価

コブラ会 シーズン1(2018年製作のドラマ)
4.4
 『ジュラシック•ワールド』(15年)、『ゴーストバスターズ』(16年)、『ブレードランナー2049』(17年)、『ターミネーター:ニュー・フェイト』(19年)、『ドクタースリープ』(19年)などなど、近年では80年代映画のリバイバル作品やリメイク作品が数多く制作されている。どの作品も当たり外れが激しく玉石混交とはいえ、残念なことにその大半からは、80年代の名作のレガシーに依存した姿勢が垣間見えてしまっていた。『ベスト•キッド』シリーズ(84〜94年)の後日談が制作されると初めて聞いた時も、「なんだ、また80年代リバイバルか〜」と内心小馬鹿にしていたことをここに白状しておく。しかしいざ鑑賞してみると、そんな自分をドスンと正拳突きしてやりたくなった。あまりの完成度に本当に衝撃を受けた。『コブラ会』シリーズ(18〜)は80年代のリバイバル作品として、ある種の「正解」を導き出したといっても過言ではない。
 『コブラ会』の最大の特徴は、「歴史の継承」ではなく「価値観のアップデート」にこそ物語の重点が置かれていることだ。その点において『コブラ会』は、過去を「古き良き時代」として美化するだけの凡庸な80年代リバイバル作品とは明らかに一線を画している。本シリーズの主人公となる元コブラ会のジョニー(ウィリアム•ザブカ)は、『ベスト•キッド』の少年空手大会の決勝でダニエル(ラルフ•マッチオ)に敗れ、そこで時間が止まってしまった人物だ。80年代的な価値観をアップデートすることができないまま、今では酒におぼれてすっかり落ちぶれてしまっている。不良グループに暴行されているところをたまたま助けたことをキッカケに、近所の青年ミゲル(ショロ•マルデュエナ)に「空手を教えてほしい」と頼まれたジョニーは、自らが師範(センセイ)となり「コブラ会」を再興させることを決意する。しかし、80年代的な価値観を何一つとしてアップデートできていない彼の指導は、どれもこれも時代錯誤も甚だしいものばかり。「敗者は全員プッシーだ‼︎」「体重を使えこの巨乳野郎‼︎」「スペクトラム?よく知らんけどそんなもんさっさと抜け出したらどうなんだ‼︎」ポリティカル•コレクトネス(政治的正しさ)という概念を完全に欠いたジョニーの言動は、一周まわってとうとうギャグの領域にまで突入している。
 生徒たちに呆れられ、見限られ、叱責されるジョニー。初めのうちは「俺の指導に口出しするのか⁉︎」と逆上していたジョニーだが、帰宅し酒を飲みながら自らの振る舞いを思い直したりしつつ、次第に新たな指導方針を模索していくようになる。時代遅れの老害だろうがなんだろうが、人間には常に「反省し変化する能力」が備わっており、謙虚な姿勢を忘れない限り未来はいつでも開けているということを、ジョニーは本作で体現している。言うは易く行うは難し。簡単なようにも思えるが、若い世代に対してそのような謙虚な姿勢をとれる中年はあまり多くない。しかしジョニーは、自らが負け犬であることを理解しているからこそ、紆余曲折こそあれど謙虚な姿勢をとることができるのだ。過去を美化せず、冷静に現在を見つめていく。そんな彼の姿勢を、私たちも見習う必要がある。『コブラ会』は、新世代と旧世代双方の成長を描いた作品なのである。
 しかし、そんなジョニーの姿勢を美化し過ぎていないのも本作の見事なところだ。ミゲルをはじめとした生徒たちはたくましく成長していくが、それと同時にかつてジョニーがそうであったように暴力的な側面も見せるようになっていく。果たして、ジョニーの指導方法は正しく機能していたのか?『コブラ会』第1シーズンは少年空手大会での対決がクライマックスとなるわけだが、痛快さや爽快さを欠いたその結末が、シーズンそのものを根底から問い直している点も素晴らしい。先に打て!強く打て!情け無用!『コブラ会』の戦いは、まだまだ始まったばかりだ。
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