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わるいやつらのnorisのレビュー・感想・評価

わるいやつら(2007年製作のドラマ)
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※以下は2001年のトヨエツ版の感想だが、Filmarksに見当たらないので、仕方なくここに残しておく。ご寛恕を。


原作は60〜61年の小説新潮連載長編。映像化は意外と遅く、松坂慶子の映画が80年、古谷一行のドラマが85年、本作が2001年、そして2007年に米倉涼子版、直近は2014年の船越英一郎版となっている。

船越版はわからないが、映画と米倉版は原作に比較的近いと思われるのに、本作はかなりアレンジされていて、「金を持っていない女は無価値」と言い切るトヨエツをピカレスクっぽく撮るばかりで、もはやタイトルの「わるいやつら」が誰と誰を指しているのかわからない珍品になっている。しかも愛人が平岡由里子に十朱幸代、藤真利子、萬田久子と年増すぎていささかグロテスクでさえある。

ほんらい、藤真利子演じるキーパーソン「寺島トヨ美」(トヨだったり豊美だったりする)が、中盤で殺されたはずなのに死んでおらず、親友の弁護士とつるんでいて、しかも弁護士は萬田久子と共謀してトヨエツを陥れる「わるいやつら」だった、というのがこの話の構図である。米倉涼子版のヒロインがこの人物で、全8話もの連ドラにできたのもそれをベースにしているからだ。

ところが本作では、藤真利子はあっさり弁護士(内藤剛志)に殺され、その内藤も萬田久子にも見限られて自殺するという中途半端なクライマックスで、湘南のヨットにトヨエツが大の字になって警察の到着を待つ「太陽がいっぱい」みたいなラストシーンになっている。めちゃくちゃである。
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