harunoma

14才の母のharunomaのレビュー・感想・評価

14才の母(2006年製作のドラマ)
4.6
当時まったく見ていなかったドラマ。
志田未来の代表作ということであらためて。
冒頭からすさまじくいい。三浦春馬も。
アバンタイトルのオープニングがミスチルで泣ける。包まる登場人物たちの映像もいい。

一話目で、その前後から髪型も演技も顔つきもまるっきり変わり、60分終わりの終点での志田の変貌がすごい。三浦春馬の乾いた感受のあり方、家族との関係性は、亡き後に見るとすでに主題として重ねて見えてしまうが、どうしたものか。帽子が。
小津や清水宏のサイレントを思わせるシーンすらあった。三浦春馬は明らかに生まれる時代が違う。なぜか佇まいが佐田啓二を。というかやはり一番時代を背負ってしまった。これが彼の原点だとするなら、あまりにも酷だ。あるいは役者の宿命なのか。ラスト手前は二つの、あるいは三つの命をめぐって、並行モンタージュのように複合的重層的になる。脇役も含めて全員に見所がある脚本は秀逸。三浦と入れ替わりのように現れる第10話のゲストに驚くアメリカンな粋がある。

こどもの権利ではなく、こどもが(大人が考える社会通念上の)子供ではない権利とは何か。身体性の実存は孤独であることを実感させる台詞がすでに1話目で現れる。それにしても志田未来の演技はすごい。もともとの、大きくくっくりとした目力なのか、眼光のエンジンの使い分けは、衣装等取り巻く演出も含め、シーンによって変貌を遂げる主人公の輪郭を形作っている。

夜の高台の公園に佇む志田と三浦の幼いツーショットに泣ける。

志田の決意の内在的根拠は、実はストーリー上ないのだが、その意思の揺れと強さが、俳優をして、大いなるものへ向けてジャンヌ・ダルクのような孤高さを体現している。社会通念なるものを超えて、呼び声に呼応するのは身体を持った俳優だけだ。理由などありはしない。啓示は目の前にすぐに現れ、世界に情動をきたす。ただ会いたい、と。変化する声と瞳が素晴らしい。志田の顔は刻一刻と変わる。たった一つの顔、絶対の顔でありながら普遍へと開かれている者たち、として。家族は家族で闘うが、女たちの、あるいは母たちと娘たちの物語でもあった。

前半、敵対するトリックスターのような谷村美月は『カナリア』の2年目にして、その荒々しい波の後を見るかのように尖っていて素晴らしい。最後の北村一輝は余計。

14歳は二度あるか。
Hello Baby『世紀末の詩』
harunoma

harunoma