ゴトウ

仮面ライダー555のゴトウのレビュー・感想・評価

仮面ライダー555(2003年製作のドラマ)
4.0
『クウガ』から続く平成ライダー4作目、引き続きヒーローの戦いが「人間同士の暴力の応酬」として描かれるが、異形から人間に向けられる愛、人間から異形に向けられる憎悪が描かれ、(ややメロドラマ的な色も含みつつ)改造「人間」は「人間」なのか?というテーマに展開していく。高次に進化した人類であるオルフェノクは、未だ覚醒していない人類を進化に耐えうる者とそうでない者とに選別しようとする(つまり「人類」を滅ぼすとも言える)。身体能力と見た目の違いで迫害されるオルフェノクは、『BLACK SUN』での「カイジン」とも近い。ただ、愚かで弱くて自ら殺し合うような人類をなぜ守るのか?という問いの答えは「放っておいても自壊する」というオルフェノクの設定でうやむやになってしまった感も否めない。巧や木場や海道らの戦いは、「人類は素晴らしい」という人類信仰への殉教という形でなんとなくきれいに誤魔化されてしまった。「殺人を行った主要オルフェノクたちは自らも死亡する」という形で倫理観のバランスが保たれているのだけれど、間接的とはいえ周囲の人間やオルフェノクの殺害に加担した所轄の刑事はのうのうと生き延びているのもモヤモヤしなくはない。

適性さえあれば誰でも身につけられる強化服としての仮面ライダーは、たびたび主人公たちの敵となる。武器としての「仮面ライダー」と「主人公」が別物であることで、ライダーベルトの使用者がすなわち「ヒーロー」というわけではないことが強調される。突然ライダーに襲われればいつもそのベルトを使っているやつに襲われたと思い込むし、緊急時にはいつもと違うベルトで変身できる。そもそもベルトはオルフェノクの王を守るために作られたとまで断言され、さっきまで一緒に戦っていたライダーが次の瞬間敵に変わる。メタ的には見た目がヒロイックであるかどうかが作劇上の立ち回りと無関係であるのも、ドラマに緊張感を持たせていたように思った。特にデルタギアに関してはスーツアクターの演技力を堪能できた。

見た目が化け物であるが故に迫害され、同族からは殺人を迫られるオルフェノク。一方で、オルフェノクから人間の姿を奪ってしまえばシンプルに害獣駆除できると言いのける人間。それこそ「怪物だーれだ」的というか、木場や長田の境遇で圧倒的な力を持ったときに憎んでいる相手を殺さずにいられるだろうか?とも思わされる。草加雅人もネタキャラ扱いされるけれど、「敵」と「味方」で明確に区別して戦う姿勢はまさしく「ヒーローもの」的な価値観だし、それを思い切り露悪的かつ哀れなものとして描いているかなり挑戦的なキャラクターだったと思う。澤田や花形に対して、最初は迷いつつも結局戦いを挑もうとするあたり、自分の筋は通している。

しかしなんと言ってもおちゃらけているように見えて誰よりもお人好しな海堂が大好きなキャラクターだった。強くもなく、確固たる信念もなく、誰に認められるでもなく、たまたま最後まで生き残ってしまったような男!変わっていくのを止められなかった友達を気にかけ続け、誰よりも先に人類を守るために滅びてゆくことを覚悟する。情けない奴がヒーローになろうとするのに弱いので、少年の死の悲しみを堪えながらの「変身」にはやられました。涙を隠す仮面だし、不本意な肉体の変化で力を手に入れた彼もまた、正しく仮面ライダーかもしれない。ただの服としてのライダーのフリが散々あったので、蛇の化け物に姿を変えるのが他のどのライダーよりもかっこよかった…ベルトがあるから、見た目がヒロイックだからかっこいいわけではないのですよね。って子どもに伝わっとるんかとは思うが。

劇場版では仮面舞踏会や記憶喪失でも描かれていたように、目に見える姿形と目には見えないもの(人間とは、心とは)みたいなテーマがあったのかも…と20年越しに気づけました。20周年記念作品も出るとのことで、『オーズ』みたいな蛇足続編にならないことを願っております。
ゴトウ

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