故ラチェットスタンク

トゥー・オールド・トゥー・ダイ・ヤングの故ラチェットスタンクのレビュー・感想・評価

4.6
 西部劇もオカルトもコメディもトラジティもバイオレンスもサスペンスもアクションもカタストロフもオブセッションもブロマンスもひょっとするとロマンシスも同じ俎上で語られている。全てが静的な生理に収束する/してしまう。偏執的なトーン&マナー。恒常性。

 終始キャラクターの誰かしらが起きている出来事を微笑してるのか舐め腐ってるのか小馬鹿にしてるのか困惑してるのか後方彼氏面なのかよく分からない微妙な表情をして佇んでいて腹が立つのか愛らしいのかよく分からない気持ちになった。

 直近で『デューン PART2』を観て「レフンってヴィルヌーヴと似てるかも」と雑に仕分けしかけていたが「あ、コイツら全然似て非なる存在だ。」と見方が改まった(かもしれない)。後者は神経症的な性格に起因する刺激への動揺がエモーションになるのだが、前者は一見綺麗好きなんだけど汚れに全く動揺しない。揺れない。ブレない。気にしない。日常会話も食事もゲロもオナニーも拷問も全部同じ画面(がめん・えづら)で撮ってるみたいな。そういうイメージ。

 ヴィルヌーヴは静的な画面の中に必ず震えが見える。自分のテリトリーが、或いは何か重要な物が揺らされ、壊されるのかもしれない。そういう不安だ。または「ひょっとすると世界を壊せるかもしれない。(でも壊せないんだ)」という期待と失望。しかしレフンはどうだろうか。個人に対して何かしらの理不尽な侵略や侵犯が行われる際、彼の世界には大抵何を考えてるんだか分からない、そしてやたらとスタイリッシュに佇んでいる被写体がいる。(上記した「よく分からない微妙な表情」をしたキャラクターたち。)画面自体もそれ程誰かに寄ることがなく、相対化・均整化が働く。ヴィルヌーヴ的なエネルギーのコントロールは働かない。「世界は壊れない。」とでも言いたげだ。この辺もう少し上手く言語化したいのだが、どうにも。

 全編見ながら「もしかして『フィアーX』ってこれがやりたかったのかな」と思う場面がいくつもあった。そして何倍も上手くやれていた。娯楽と芸術のミキシング、チューニングがここまで綺麗に上手く仕上がっているのは『ブロンソン』と今作ぐらいだろうか。特に5話はレフンのベストワークだと思う。オチは大概ヘンテコというかよく分からないのだが別にそれで良いと思う。2話ぐらいまで勿体つけた語り口にブチギレていたのだが3話のラストで一気に引き込まれてその後は殆ど目が離せなかった。会話のテンポがずっと同じなんだけど一度癖になると延々止まらず見てしまう。あと選曲最高。