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マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~のrayconteのレビュー・感想・評価

5.0
「私たちの解放日誌」で脚本家パク・ヘヨンの名前を知り(Netflixの優秀なレコメンド機能が知らせてくれただけだけど)、彼女の過去作品を探す中で見た一作。

私たちの〜と同じ16話構成のはずなのにこのドラマはやけに長く感じてしまったのだが、それは気のせいなんかではなく、本作は1話あたり70分越え(最終回に至っては90分もある)。
シンプルに長い作品なのだが、終わりに近づけば近づくほどいつまでもこの時間が続いてほしいと思えるような優しいまなざしを感じる作品だった。

正直この作品にはかなり突っ込みどころというか、もはやファンタジーじゃないかと思えるほどのご都合主義が多い。
たとえば主人公のイ・ジアンを不幸で哀れな人物に仕立て上げるため、彼女はかなり現実味を欠いた不遇な境遇にいる。
韓国の福祉法がどうであるか詳しくはないが、障害を持つ祖母しか身寄りのいない未成年の少女を野放しにするほど無法の国ではないはずだ。
物語のキーとなる〝盗聴アプリ〟も恐ろしく現実離れしている。
現実にも他人のスマートフォンに仕込むタイプの盗聴アプリ自体は存在しているが、通信機能を使用してない状態の音声を盗聴することは不可能だ。
その他にも作品の本筋に関わるような重要な部分にご都合主義が様々あるし、アラ探しをすればいくらでも挙げられる。
けどそんなことも野暮に思えるほど、この作品のあまりある魅力に虜になってしまった。

「私のおじさん」という邦題からは、若い女性が中年の恋愛を描いたある種の中年ファンタジーだと推測してしまうが(そういう部分もあるのだが)、別々の形で人生に行き詰まるイ・ジアンとパク・ドンフンが、その関わり合いの中で互いの人生を取り戻していく成長の物語だ。
ジアンとドンフンの境遇は一見すると正反対であり、彼らは対比の関係に見える。
だが彼らは関わり合いの中で、環境は正反対でも抱える想いは似た者同士だと気づいていく。
その過程をただ見つめながら、私たちひとりひとりにもどこか心当たりのある想いだと気づかされる。
人間の内側にある「諦め」と「渇き」は、年齢や職業や財産や性別に関係なく、どんな立場の誰の内側にも存在しうる問題なのだ。
そのことを一流企業勤めの中年と不幸な境遇の若い女性という一見相容れない二人の交流を通じて描くことによって、私たちが無意識に持っている他人に対する「壁」を優しくゆっくりと解きほぐしていく。
何を「優しさ」とするかは人それぞれだろうが、それはきっと他人の中にある自分と同じ部分を見つける作業から始めないと嘘になるのではないだろうか。
ジアンの言う「3回まで助けてくれた人はいました。でも4回目はいませんでした」という言葉に、そのメッセージが詰まっているように思う。
それは寂しさや焦りからすがり合う恋よりも遥かに深い愛であり、だからこそ十分な優しさを受け取ったら、お互いはまた別々の人生を歩む。
そういう彼らの成り行きを見守りながら、私たちは知っていく。
本当に必要なのはいつも隣に誰かがいてくれることではなく、その人がこの世界にいるという事実だけで幸せな気持ちになれるような存在なのではないかと。
もしもそんな人がいるのなら、きっとそれが「私のおじさん」なのだ。

脇を固めるキャラクターも魅力に溢れている。
個性は様々だがみんなどこか憎めない愛嬌があり、彼らのサイドストーリーもこの作品の魅力だ。
ソウル市内にあってどこか垢抜けない昔気質の住人たちと、その一部でありながら都会の一流企業で働くドンフンたちのバランスの悪さが、この作品に複合的な面白さをもたらしている。
特にドンフンら三兄弟が絡むエピソードは、ジアンとドンフンというシリアスで暗い話になりがちな二人のドラマにちょうどいい塩梅で笑いをもたらしてくれ、視聴者は落ち込みすぎずにすむ。
人間ドラマの難しいところは最後まで見てもらわないとその良さがわかってもらえないという点なので、見事なバランス設計だと思う。

パク・ヘヨンの脚本にはどこか、円の外側にいる人の疎外感と羨望があって、そこから自分なりに円を描いていくまでの過程を見つめる優しいまなざしがある。
それは、なぜ人が作り物のはずの映画やドラマの世界に感動するのかという理由と地続きでもある。
「マイディアミスター」はきっと、そんな羨望と疎外感を抱える人たちにとって、自分の円を描く勇気を思い出させてくれ、そしてその時こそ安らぎに至る時なのだと語りかけてくれる。
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