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ファルコン&ウィンター・ソルジャーのMASHのレビュー・感想・評価

3.0
MCUドラマシリーズ第2弾。ファルコンとウィンター・ソルジャーはMCUの中でも結構好きなキャラだし、キャプテン・アメリカのシリーズでポリティカルサスペンスの要素を含んだアメコミ映画の面白さは証明されているようなものなので、結構期待していた作品だった。いざ観てみると確かに期待以上の部分も見られたが、それ以上に製作者が描きたいことやら伝えたいことがパンク状態で完全に空回り。映画としての面白さや感動という前提を忘れてしまっているように感じた。

この作品で一番描かれるべき部分はどこか。それはファルコンがキャプテン・アメリカになるまでの過程だろう。そこにはキャプテン・アメリカの後を継ぐというプレッシャー、黒人がキャプテン・アメリカを名乗ることが許されないかもしれないというアメリカにおける黒人への偏見、そして戦いに参加させられた者達の社会への怒りや人を殺めたことの後悔。そして、こういった要素はちゃんとファルコン、ジョン・ウォーカー、ウィンター・ソルジャーという3人に当てはめられ、そこに生まれる軋轢と和解を描こうとはしている。非常に硬派であり挑戦的な作品になり得たであろう。

だが、そこにフラグスマッシャーズというテロ集団がメインで登場する。彼らの存在がこの作品におけるテーマを無駄に増やしてしっちゃかめっちゃかなものにしてしまっているのだ。彼らがメインにいることで、難民問題、貧富の差、権力による支配と力による支配、汚れた政府とテロによる主張、というような別の問題が次々に流れ込んでくる。これらのテーマが悪いとかいうわけではなく、たった6話のドラマで描けるテーマの量ではないということだ。しかもフラグスマッシャーズがあまりに魅力に欠ける。なんかぐずってるみたいな印象が強くて、リーダーに一番必要なはずのカリスマ性が感じられない。キルモンガーとかをもっと参考にしてほしい

上記の問題によってモロに弊害が出ている。それは主人公であるはずのファルコンのキャラだ。今までの作品でファルコンはお世辞にもキャラ立ちしていたと言えなかったため、まず最初にすべきことは彼のパーソナリティのじっくり描くことだ。だが、船の修理や姉がお金に困っているだの話している内にフラグスマッシャーズとの対立に話が移行してしまい、彼の苦悩はどんどん薄口で口頭的になっていく。そして最後には製作者の主義主張を代弁する腹話術人形へと変わってしまう。ラストの彼の演説シーンには興醒めしてしまった。シチュエーションは不自然だしやたら長いし、観客に一から十まで説明してくれる親切設計。演説とかいらないから。MCU1作目の「I am Iron Man」の潔さはどこへ行ったのか。

その一方でウィンター・ソルジャーは目立ってはいないものの、彼の後悔や苦悩というのは数シーンだけで十分伝わるほど重厚。そして何よりジョン・ウォーカーが最高。彼がこのドラマシリーズの全てを持っていったと言っても過言ではない。ヒールとして登場をしたかと思えば、彼自身もまた次期キャプテン・アメリカの重圧に苦しむ一人の人間であったことが分かってくる。そしてある事件が起きたことで完全に暴走してしまい、更には尽くしてきた国に利用されるだけされて捨てられる。そんな彼の最後の選択はこの作品の中で一番胸が熱くなったシーンだ。

ポリティカルな側面からアメコミ作品を描くというのはあり、というかアメコミの歴史を考えればそうあるべき部分も大きい。『X-MEN』『キャプテン・アメリカ』、顕著なのだと『ブラックパンサー』など。だが、それらの伝えたい部分を絞って、キャラやストーリー、アクションの面白さが前提に置いた上で観客の心に訴えかけていたのだ。『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』はとにかく主張を押し込めすぎたせいで、肝心の映画的に面白い部分おざなりになっている印象を受けてしまった。気合が入りすぎで空回りしている。そりゃジョン・ウォーカーという新キャラやジモの再登場は魅力的ではあったけど、やっぱりチグハグというか、6話という長さと構成が噛み合っていない。『ロキ』は果たしてどうなるのやら…このドラマシリーズにいまいちハマれていない身としては心配なものである。
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