タケオ

ワンダヴィジョンのタケオのレビュー・感想・評価

ワンダヴィジョン(2021年製作のドラマ)
3.9
 ワンダ(エリザベス・オルセン)とヴィジョン(ポール・ベタニー)が「MCU」を代表するおしどりカップルの1組であることは論を俟たないが、ヴィジョンの真の正体はシンセゾイド(人造人間)であり、実のところ彼は人間ではない。ゆえに、そんなワンダとヴィジョンを主演に据えた『ワンダヴィジョン』(21年)は、必然的に『ブレードランナー』(82年)『her/世界でひとつの彼女』(13年)『エクス・マキナ』(14年)といった作品群と同様、「現実と虚構の間に愛はありえるのか?」というテーマと真摯に向かい合う作品となった。
 『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(19年)も本作と同様「現実と虚構」というテーマを扱った作品だったが、『ワンダヴィジョン』はそこにシットコム形式の「誰もが笑顔で暮らす夢のような世界」を持ち込むことで、よりメタフィクショナルな形で「MCU(をはじめとしたエンターテインメントそのもの)」に対する批評を試みた。「エンターテインメント」という虚構の中に、シットコムという「虚構のみで完結したさらなる虚構の世界」を描くことで、現実と虚構の境界線へ果敢に挑んだ『ワンダヴィジョン』は、『イレイザーヘッド』(77年)『エレファント・マン』(80年)『ブルーベルベット』(86年)をはじめとしたデヴィッド・リンチのフィルモ・グラフィを彷彿とさせる。また、ヴィジョンが『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(18年)で既に死んでしまったはずのキャラクターであることも忘れるわけにはいかない。死んでしまったはずのキャラクターが虚構の世界の中で「戻ってくる」という本作のプロットは、それこそ正に『ツイン・ピークス』シリーズ(90~17年)そのものだからだ(『ローラ殺人事件』(44年)『サンセット大通り』(50年)『めまい』(58年)を思わせるのは言わずもがな)。『ワンダヴィジョン』は前述したデヴィッド・リンチ作品と同様、酷薄極まりない現実を前に「エンターテインメント」という名の虚構が、恐怖や不安を包み込む「揺り籠」——ひいては「逃避の世界」として機能することに、どこまでも自覚的な作品なのである。
 しかし、しかしである。本当に「エンターテインメント」は「逃避の世界」としてのみ機能するだけのものなのだろうか?酷薄極まりない現実を前に、「エンターテインメント」とは無力なものなのだろうか?「そうではない」——と、『ワンダヴィジョン』は力強く主張する。確かに「エンターテインメント」とは虚構かもしれない。しかし、そんな虚構としての「エンターテインメント」から受け取った「愛」や「感動」は、決して虚構ではないはずだ。虚構の中にも無限の可能性がある。今という時代に改めて「エンターテインメント」の意味を問い直す、実にクレバーな作品である。
タケオ

タケオ