最終回「報いの時」の「報い」とは義時以外にも及ぶことを三浦がじじいと呼ばれることや時房が勝手に持ち出した酒だと思っていた物が毒であったことなどでコミカルにわかりやすく描き、誰が報いを受けるかと言えば今まで手を汚さなかった政子が「弟殺し」に手を染めたことであったと思う。今回義時は3度、自分を殺そうとした相手(妻、親友、姉)と対峙するが一度も怒気を抱くことはなかった、政子の「一度たりとも私欲に走ったことはございません」の演説を体現し、像の醜さには耐えられない。どこまでも優しく器の小さい小四郎には荷が重かったこと、鬼の道を選んだ小四郎がやっとその重荷を下ろせたことは「報い」などでは決してないと、そう思います。
米の勘定をしながらゆっくりすごす義時が好きだよ。