タケオ

クイーンズ・ギャンビットのタケオのレビュー・感想・評価

クイーンズ・ギャンビット(2020年製作のドラマ)
4.4
 『ハスラー』(59年)や『地球に落ちてきた男』(63年)などの小説で知られるウォルター・デイヴィスが執筆した『The Queen's Gambit』(83年)を原作とした、Netflix限定配信ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』(20年)。孤児院で暮らしていた天涯孤独の少女がチェスの才能によって男性優位社会の中でのし上がり、アメリカの代表選手としてソ連の絶対王者に挑むまでの姿を描き出していく。
 本作の監督と脚本を務めたのは、『マイノリティ・リポート』(02年)や『LOGAN/ローガン』(17年)の脚本で知られるスコット・フランク。本作は『ハイスクールでつかまえて』(88年)でデビューした彼の、長きに渡るキャリアの1つの集大成といっても過言ではないだろう。また、主人公のエリザベス・ハーモンを演じたアニャ・テイラー=ジョイの圧倒的な存在感と吸引力にも手放しで拍手を送りたい。何よりも彼女の目が素晴らしい。エリザベスは口数が少なく感情をあまり表に出さないキャラクターではあるが、アニャ・テイラー=ジョイの大きく魅惑的な瞳こそが、エリザベスというキャラクターの複雑な内面を何よりも雄弁に語っている。
 タイトルの「クイーンズ・ギャンビット」とは、自らの駒を次々と「捨て駒(サクリファイス)」として打つことによって、大きな代償を払う変わりに後の展開や陣形を優位に進めようとする、極めて攻撃的なチェスの定跡のこと。これは、エリザベスが最も得意とするスタイルであると同時に、彼女の波瀾万丈な人生そのものの象徴でもある。
 チェス盤の上で様々な強豪とぶつかり合っていくエリザベスだが、それと同時に彼女は、自らの内側に潜むトラウマとの対峙も余儀なくされる。母親の無理心中に巻き込まれ、孤児院では精神安定剤の過剰摂取によって薬物中毒に陥り、養子として引き取られた家では義母とともにアルコール中毒に。冷戦の緊張感に晒される1960年代当時の有形無形の社会の歪みが、彼女を自傷癖にも近い生き様へと追いやっていく。心身ともに崩壊寸前な彼女の姿は、さながらクイーンズ・ギャンビットの捨て駒のようでもある。
 冷戦当時、宇宙開発と同じようにチェスは国力の象徴でもあった。アメリカとソ連は、どちらがより優れた才能や技術を誇っているかを常に競い合っており、戦略と頭脳を競い合うチェスは特に重要視されていた。男性優位社会の中でも、最たる分野だったのである。もちろん、本作に登場するエリザベスの対戦相手たちも、ほとんど全員が男である。男性優位のチェスの世界で勝ち残っていくエリザベスには、女性だというだけで常に異物としての視線が付き纏うこととなる。
 しかし驚くべきことに、本作に登場するエリザベスの対戦相手たちは誰もが皆、男女差別をしない極めてフェアな人物ばかりである。チェスの試合中、ジェンダーをはじめとしたその他もろもろの概念は、本作では完全に無効化され、あくまで1人のチェスプレイヤーとして、誇りを持ってぶつかり合うこととなる。「女は家でニコニコしながら家事をしていろ」という旧時代的な性別役割分業が定着していた当時(今も大概だが)としては、あまりにも異様な光景ともいえる。というのも本作は、1960年代当時の思想や価値観をある程度反映こそしているものの、徹底的に描き出そうとはしていないからだ。
 本作は、どこまでも「チェスプレイヤー」として生きる人間たちのドラマを描き出そうとしている。本作の主人公たちは「チェスプレイヤー」という「個人」であり、「集団」としての思想や価値観に左右されることはない。ゆえに本作からは、クリント・イーストウッドの『アウトロー』(76年)や『グラン・トリノ』(08年)とも通底する、「個人としての人間の尊厳」という普遍的なテーマが垣間見える。「個人」としてのチェスプレイヤーたちとの交流を通して、エリザベスが自らのトラウマや呪縛から解き放たれていく姿はどこまでも軽やかで痛快だ。プレイヤーたちとの交流が何重もの意味を纏いながら、最終回のエリザベスとソ連の絶対王者ボルコフ(マルチン・ドロチンスキ)のエンドゲームへと流れ込んでいく様も圧巻である。
 チェスの駒はそれぞれ役割や価値が異なるが、その評価は絶対的なものではない。チェスの局面によって、駒の価値は常に変動する。捨て駒のような生き様を貫いてきたエリザベスがクイーンへと'プロモーション'したその瞬間、鑑賞者は『クイーンズ・ギャンビット』というタイトルの真の意味を理解することとなる。理不尽かつ不条理な現実を前に傷つきながらも、それでも人生という名のチェス盤の上で戦い続ける人々のための人生讃歌を、『クイーンズ・ギャンビット』はどこまでもソリッドかつエモーショナルに謳い上げるのだ。
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