しの

母性のしののレビュー・感想・評価

母性(2022年製作の映画)
2.4
あまり感心しない内容だった。この作品を観て自分が不審に思ったのは、むしろ父性の不在だ。母と娘の依存関係が延々と続くような無限地獄の構図を生み出すために、意図的に父親の存在が空洞にされている。母性幻想への皮肉を煮詰めたらどうなるかという思考実験としては興味深いものの、それ以上の何かはない。

確かに、「母親なら/妻なら/義娘ならこう在らねば」という規範意識の歪んだ表出を描いたと読めなくはないし、実際、父親もまた過剰な規範意識から逃げている存在であることは匂わされている。ただそれなら母と娘の関係に話が終始してしまうのは片手落ちというか、意図的に地獄を生み出してる感は出てしまう。

あとこの話に欠けている観点として、なぜパートナーと愛し合って子を産むのか? ということがある。もちろん全ての子どもがそういうプロセスを経る訳ではないにせよ、少なくともこの話で「母親を喜ばせるための道具を手に入れた」という側面だけ描かれるのは不可解だ。ここでも父親の心情は抹消されている。

つまるところ、この物語は母と娘が分離していない(そこに「他者」が存在しない)という所に根深い問題があるわけで、ルミ子はとにかく自分と相手を同一化させようとする存在として描かれる。ならば本来ここで必要なのはその泥沼から救い出す「他者」の存在だろう。それは父親や恋人、友人でもいいはずだ。実際、この話で唯一その泥沼から脱却できた存在として律子がいる。彼女は母や娘である前に、ある種の自我を確立できている。しかし主役陣についてはどうか。結局、「母か娘か」の二者択一から最後まで抜け出せない。こうなると命を繋ぐ行為はもはや呪いの継承でしかない。皮肉に終始している。

なので、確かにロールモデルに対する過剰な意識が招く皮肉な不幸の煮凝りにはなっているものの、あまり建設的な話ではないし、ラストもどういうテンションで観ればいいのか判然としない。

そもそも、この全編に渡っての胡散臭い作り物感漂う台詞と演技にちゃんと意味を持たせているとも思えない。例えば、現代パートの演技が自然なものになっていて、母娘の泥沼を描く過去パートのみ作り物めいた演技演出にするなら分かるのだが、そういう訳でもない。さらにいえば、今回は湊かなえ作品らしい独白による別視点を描くギミックの意味が薄い(どちらの視点にせよ歪な母娘関係を補強するものでしかないため)。

こうなると、延々と続く独白が単なる過剰な説明台詞にしかならない。その上セリフも胡散臭いだけとなると、もうこれは小説かラジオドラマでいいのではないかと思えてくる。他者不在による歪んだ母娘関係のドラマとしても、完璧に設計された泥沼模様を描く内容として見てもこういったノりきれなさがあり、どういう形でも面白がれない作品だった。
しの

しの