幽斎

ヒプノシス/催眠の幽斎のレビュー・感想・評価

ヒプノシス/催眠(2020年製作の映画)
4.8
国内の映画賞で3冠に輝く、純粋なロシア映画だが、フィンランドの制作会社の支援を受け、更にレビュー済「アトラクション」シリーズを手掛けたロシア国内でトップの外資系ソニーが世界配給に乗り出した意欲作。驚く程レビューが少ないが、一般的には難解なプロットが要因だろう。

夢遊病を患ってる少年ミーシャは、心理セラピストのペトローヴィチから催眠療法を受けていた。次第に催眠術師に依存するようになったミーシャは、現実と幻想の境目を区別できなくなってしまう、ヒプノティック・スリラー。

原題「GIPNOZ」催眠術を意味し、英語版HYPNOSISは純粋に催眠を指す。催眠術は欧米ではHypnotismと呼ばれる。日本で催眠術と言えば如何わしいイメージが有るし、催眠商法は今でも地方都市で見受けられる。手口は極めて古典的で無料のプレゼントを餌に、高齢者を集め購買意欲を異常に高め、価値の有る商品を安く売ってると錯覚させ、実際は市場価格より遥かに高価な商品を売り付ける。近所で一通り売り抜けると、数週間で忽然と居なくなり、クーリングオフが適応出来ても、騙されたと気付くのに時間が掛かる。スリラー的に言えば、最初に貰った品は食品とか、既に使用済みで解約を申し出にくい雰囲気を形成。全く褒めないが、本格的な心理学を巧みに応用してる。

医学的な見地では催眠療法を取り入れた医療機関は極めて少ない。エビデンスが確立してないのが要因だが、日本の場合は薬物療法が基本で、一般的なメタアナリシスも有効性は証明されてない。日本催眠医学心理学会なる団体が有るが、私個人の意見では信用に値しない。「ヒプノセラピー」をググると、様々なサイトがヒットするが、例えば国家資格の公認心理士を混同して説明する等、胡散臭さは変わってない。もし、それが有効だと主張するなら、なぜ大学病院や地方の総合病院で扱わないのか?。

「貴方の見えてる世界は現実なのか?」スリラー的なテーマで興味をソソられますが、これは認知心理学の範疇。人は誰でもバイアスを掛けて物事を判断する。分り易い例で言えば、自分が歩くのをスマホで動画撮影して下さい。画面が縦に揺れますよね?、では貴方の目は揺れて見えましたか?、違いますよね。「錯視」と言いますが、これは感情にも同じ事が言える。認知心理学を人間科学と言い、様々な大学に学部が有ります。

秀逸なのはジュブナイルに陥り易いテーマを、睡眠時遊行症(夢遊病)と言う、説明可能な実例をミックスする事で、単なる空想世界とは一線を引いてる。大人でなく未熟な少年、と言う心情を咀嚼し難い点と、反する催眠のシナジーを甘受し易いと言う両局面は、ミステリーと言うよりも人間ドラマに軸足を置いてる点も、ロシアらしく実に面白い。

ロシア文学と同じく、スクリプトは哲学的で観念的。リアリーとヒプノティックの境目も安易な提示は避け、観客に委ねる点はスリラーの趣。見様に依っては面白みに欠けるとか、起伏が無いとか有るかもしれないが、素人が初見で論破できるほど、スリラーは甘くない。何度もリピートする事で見えなかったモノが観えてくる楽しさも、存分に味わえる。

アメリカでも公開されたがレビューは酷評。それを承知で言わせて貰えば、ロシアで長年映画製作の苦楽を共にしたソニーは、ロシア人の感性も把握してる。もし駄作であれば、ハリウッドを拠点とするソニー・ピクチャーズが参戦する訳がない。答えを提示される事に慣れてるハリウッドとは異なり、寧ろテーマに深みを与えるメタファーを私は高く評価したい。

テーマは現実世界の承認欲求、大人のエゴイズム。人間の意識とは1割を占める覚醒時に論理的に思考する「顕在意識」と、9割を占める非論理的「潜在意識」に大別される。その中身は「清明」「質感」「膨張」3要素で構成される。トリックのヒントはペトローヴィチの会話に隠されてるが、登場人物全ての存在自体が謎を解く鍵であり、せん妄や朦朧からの離脱が意味するモノは、最終的に「自我の解放」へと導かれる。本作は座して答えが得られる作品では無い。監督と貴方との頭脳戦の真剣勝負も試される。

人にはアッパーとダウナー、2つの人格が混在する。貴方は催眠から解けただろうか?。

私は学生の頃からロシア文学が好きで、その延長線上としてロシア映画も心の中で応援してる。侵略を擁護するつもりは1㎜も無いが、世論に配慮して文化を差別する事は決して有っては為らない。ロシア映画も今後はアメリカで規制される事は明白、リリース作品の出荷差し止めの措置も取られるだろうが、映画には罪は無い。

一日も早い和平が実現する事を願って已みません。
幽斎

幽斎