ニューランド

ツガチハ日記のニューランドのレビュー・感想・評価

ツガチハ日記(2021年製作の映画)
3.8
 フリーでイージーな作品だとの情報を得てたので、他の作品を観るつもりだったが、少し寝坊して、チケットを取り損ね、本作に。会場がデカく余裕。
 だが、これは独自には違いないが、やはり映画の密度·その塗り込めの手付き、素晴しい作品、映画が実現され、それが体得出来たが、妙に嬉しい作。純粋にコレは映画、映画特有の密度と厳密·塗り込め、らが実習される。 
 話題になった『メメント』方式に時間を遡る形式に、意味があるのか分からない(一応、果物の劣化の逆が挟まれる)。「21日前」という風に20余りの区切りがあるが、一日の間は時系列に進み、当初3人の男女の踊り狂いから始まり、ラストはその3~4倍の数の同じ姿となるが、コロナ下難しく危険な環境でのハラハラ·しかし準備重ね意を決した映画撮影スタートから始まる、実際のその時の映画事情まんまをドキュメンタリー風に捉えた所から、数の減り方からも現実の厳しさも反映した幸せで困難を消化した劇中劇への入り込みで終わった、と捉え·それをひっくり返した流れと見るべきか。または、監督本人が身重の共作者でもある妻の体調からの半離脱に協調するを始め、スタッフやキャストの不協和の表立ち(一人括りを抜けて外部に遊びに出た主演者だとか、私物を間違えて食糧の勝手抜取りを大騒ぎのスタッフとか)、あまり上手くもいってない主演3人に丸投げすることも出てくる流れを、作劇巧みに創るか·ナマ感情を活かしての方向づけでもあるのか。でもどうでもいい気もする。メタ映画としての構造より、一瞬一瞬の紛れもなく、映画そのものを造り、実現している、パンパンの張り具合·熟した力を受取るだけの歓びで充分だ。
 自然の緑·紅葉らも陽光らとの絡みで1つとしてパターン的表れはなく、シーン毎に濃さ·鮮やかさで際立った個性と存在感そのものとなって、ツブツブの段階から活きてて、映画的反射ではなくて、豊かで自然で固有のものとなってる。室内·閉鎖的空間においても、窓から差し込むネオン的色彩照明の紫·橙·赤等切替毎に世界も切り替わり、一面をそれら一色の染め具合も圧巻で、小さな丸粒の色彩郡が降る形も素晴らしく、一回などは限りない夢の流れ星群の降り止まなさに引き込まれた。容易に動かない感·フィックスめ長廻しの押さえの把握力が、対象·人間の存在の尊厳に沿っているようで、その一体化のまま、人間らのやり取りや動きに沿い、いつしか貼り付き溶け込み、会話や生理·行動をゆったりカメラは知れず溶け込み左右に長いスパン·壁塗りめ·が内からのダイナミックさ·一見平板さで動いてる(、ズームの追加もある)。一方、妻らと去る監督の姿は軽いパンだけで小さく去るがままにしてる。その流れで温室作りの1からの有り様や、関心の蝶どの切返し、そして「パーティ開くって? 人が集まるか? そもそも人間嫌いで自分がいかない」の台詞のけいこか、実際の感興·告白か3回、別の人により繰り返される。
 そもそも監督が現場を離れ、役者に丸投げされる時、「映画の背景や人間の関係に気をはらわなくていい。思う存分にやってくれ」精神で、事情がそうさせてる、以上の作者の信念だ。初期の『~八月』に近い、あっけカランの傍若無人な力を持っている。得難い映画的密度。
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