ルサチマ

美しい術のルサチマのレビュー・感想・評価

美しい術(2009年製作の映画)
4.7
他人の映画を観ていて初めてその才能に嫉妬した。

冒頭、暗闇の中で「私は犬だ。ワン」から始まる1分半のナレーションが聞こえてから、一体この声の主は誰なのか想像を膨らませていると、漸く交差点に立つ主演女優の横側からのロングショット(しかも交差点には人もそれなりにいて、誰が先の声の主だったか一眼で見分けることは難しい)が挿入され、その簡潔さに不意をつかれると共にその大胆な野心に強烈な衝撃を受けた。

だが、この映画がなによりも素晴らしいのはデビュー作にして俳優の芝居を明確な意図によって構成仕上げ、且つ単純極まりないカメラポジションとカット割で的確に捉えていることだ。
例えば主演のヒロインとかつての同窓生とのカフェテラスでのやり取りでは、人物をツーショットで捉えるか単独で捉えるかという選択が「これしかない」と確信させるデクパージュによって提示されている(その選択の的確さは『適切な距離』の喫茶店場面での編集でも確認することができる)上に、それぞれの芝居が極めてモノローグに近いような会話の発声と視線の方向によって成立していることも興味深い。

もう一つ印象的なシーンを挙げると、主演女優と、彼女が好意を寄せる男が映画前半で「好きな色はなんですか?」と、他愛もないやり取りをしたのちに別れの挨拶をするという展開において実践されるグループショット→単独の切り返し→再びグループショットで一人の人物がフレームアウトのデクパージュも見事。
この映画のどれかワンシーンを見れば、大江崇允が抽象的な意味ではなく紛れもない具体的な身振りをする俳優との共同作業によって映画を撮影していく作家であることがわかる。

『適切な距離』や『かくれんぼ』にも通じるテーマとしては、卓越した時間経過の表現について触れておく必要がある。今作で記憶に残る時間経過は、最も映画的な技巧と言ってもいいだろうが、黄色いカクテルを用いたカット割(カットを割るということは、映画撮影現場において、現実の時間と空間の変化が生じる行為である)によって確認できるのであり、デビュー作である『美しい術』から『かくれんぼ』までを見ていけば、大江にとってカットを割ること/割らないことは時間経過の有無はもちろんのこと、映画内の時間と空間が現実か/虚構かという意識へと波及していることも明らかになる(ちなみにこの『美しい術』でコップに注がれた飲み物を巡る身振りは『適切な距離』の喫茶店でコップを回す身振りのやりとりへと変容しているような印象も受けるが、それについてはまだ断言出来ないままだ)。
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