くまちゃん

INTERCEPTOR/インターセプターのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

90年代初頭に隆盛を極めた筋肉アクション映画。スタローン、セガール、シュワルツェネッガー、彼らは肉体の許す限り戦ってきた。今作は間違いなくその系譜を受け継いでいる。

ストーリー、プロット、セリフ、展開、全て90年代に我々が経験しているものばかり。既視感で構成されていると言ってもいい。

内容はほぼ「沈黙の戦艦」ではなかろうか。
「オーシャンズ8」のように女性でやってみました的な。

まだまだ男性社会なアメリカ軍で、優秀な女性士官コリンズはセクハラを受ける。
上官へ報告するも取り合ってもらえず、証拠を提出した所、過去の写真が流出し、SNSを中心に軍内部から誹謗中傷が殺到した。その上、部屋を荒らされ心無い言葉が壁を埋め尽くす。
これを理由に自殺未遂まで試みる。

女性であると言うだけで色眼鏡で見られ、セクハラや性的な暴行なども誘惑したのではないかと被害者が責められる。
こういった事実は時代が変わっても普遍的に存在している。一番変わるべきな所が何も変わらない。

マッチョなアクション映画にセンセーショナルな問題を組み込むのはいいが、いささか雑。
まず、コリンズにとって辛い過去のはずなのに葛藤が見えない。
乗り越えたと言われればそれまでだが、乗り越えるプロセスを見せなければ問題が軽く見えてしまう。
例えば、ビーバーのように女性を性の対象としてしか見ていない相手と過去の軋轢に悩んだり、苦しむ事で乗り越えたときのカタルシスと感動は何倍にもなるだろう。

社会的に重要なテーマがあるにも関わらず、活かしきれていない。
男性が描いた男性目線の女性でしかない。

セクハラと誹謗中傷により一度は死を選ぼうとしたコリンズだが、現在のコリンズが強すぎて、その過去が霞む。
果たして彼女はそんなに悩んだのか?性格的に死を選ぶまで追い詰められたのか?キャラクター上の整合性が取れていない気がする。

アクション場面が見せ場の一つだが、
シガニー・ウィーバーから始まるタンクトップで戦う女性はやはりかっこいい。
エルサ・パタキーの三角筋から上腕二頭筋へかけて筋張った肉体がその強靭さに強い説得力を付加している。
眼球を拳銃で刺すのはまさに、道具を腕力にまかせ非公式な使い方をする古き良き筋肉アクション。

体格差のある男性を倒すシークエンスがやや緊張感にかける。
筋力、リーチ、体力、全てに於いて目の前にいるスキンヘッドマッチョの方が戦闘に関して優れている。
コリンズが勝てた理由がわからない。

女性同士の戦いは見応えはあったが、
決められた動きをしているだけという雰囲気は否めず、迫力が半減していた。

ラウールがシステム復旧のために臆病な自分を奮い立たせ勇気を発露させる場面で格好良くメガネを外すが、そっちのほうが危ないのではないか?見えないよ?

ビーバーの裏切りは想定内。
あんなにずっと寝てるやつがそれで終わりのはずがない。

電波がジャックされ公共のモニターにテロ行為が映し出され、核ミサイルでアメリカを攻撃するとの言葉に逃げ惑う民衆。その混乱の仕方が昭和の特撮のようでリアリティがない。

全体的に現象は描いているが、人間を群衆として捉え、個を描いていない。

ゲーム理論の学者も何故出てきたのかわからない。

今作は女性視点としても中途半端、アクションも中途半端、ドラマも中途半端、全てが中途半端で終わった。
この大罪はエグゼクティブプロデューサーであるクリス・ヘムズワースに償ってもらう他あるまい。
次回作があるなら是非、クリス・ヘムズワース演じる電気屋のオヤジを全面的に押し出してきてもらいたい。

アメリカではヒットしたようだが、ロシア、核というワードがタイムリーで生々しく、たった一人でアメリカを守護するヒロインに希望を感じたからなのかも知れない。
くまちゃん

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