YasujiOshiba

トロールのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

トロール(2022年製作の映画)
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ネトフリ。23-2。今日の昼間は、ちょど柄谷の『力と交換様式』を読んでいた。そのなかで人間と自然の「交通」に触れられている。この映画にもそれがある。トロールが自然と読み替えられるからだ。つまり、この映画はトロール/自然との「交通」がテーマだ。

柄谷の見立てによれば、資本主義社会は、貨幣=資本という物神(フェティッシュ)への服従状態にある。それは一見すると、あらゆる魔術的なものから解放され、合理的な様相のもとにある。ところが実のところ、ぼくらは自ら進んで資本の霊的支配に服従しており、そのことに気がついていない。そしてそこでは人間と人間の関係だけではなく、人間と自然との関係までもが歪められているのだが、歪められていることが普通だとみなすようになっているわけだ。

主人公の古生物学者ノラ・ティダーマンは、そんな資本の霊的な支配を受け入れている。ようするに現代社会においてはノーマルな振る舞いをするのだけど、そのノーマルの基準は、「トロール」の伝説を御伽噺の領域にとどめおき、科学的な言説には登場させないというところにある。彼女にとって、それは父との思い出だけにあるべきもの。

というのも、その父は、トロールの存在を信じている。資本の霊的な力よりも、自然の霊的な力としてのトロールを信じることは、背教であり、はぐれもの。そんな父のもとを出た娘ノラは、大学教授となり古生物を研究しているのだが、まさに古の生き物としてのトロールの復活が、この物語の立ち上げる。

奇しくもそれは、トロールの山をくり抜くトンネル工事。まさに人間的な交通の過剰が、自然との交通を歪めている現場。それでも、山をくり抜くようなトンネル工事に反対する住民たちの姿がみえる。特徴的なのは、反対住民のほとんどが女性だってこと。一方で工事の労働者たちは男性で、発破を仕込むと、これ見よがしに彼女たちに見せつけながら、そのスイッチを入れる。人間と人間の交通の歪み。それが自然との交通を決定的に破壊した瞬間、トロールが立ち上がるという仕掛けだ。

資本は国家を成立させる。国家は資本と一心同体となりネーションとなる。まさに領域民族国家は、その交換様式の矛盾が最大化するとき、戦争に訴えるしかない。普通なら敵は国家なのだが、ここではトロールと化した自然が相手。軍が出動し、最後の最後にはおきまりの核攻撃。明言はされていないけれど戦闘機が搭載したのは核弾頭ミサイルに決まっている。

けれどもこの映画でトロールという自然を倒すのは、人間による人工の太陽ではなく本物の太陽。自然のものは自然に任せるという意思表明なのだろう。なるほど、映画の中でも名前が出てきたが、トロールはゴジラなのだ。日本の怪獣の元祖が、核実験によって蹂躙された自然の咆哮だとすれば、ノルウェーの妖精のモンスターもまた、自然との交通の歪みの極点において地中から立ち上がる悲しい叫びなのだろう。
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