YasujiOshiba

Nitrate Base(英題)のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

Nitrate Base(英題)(1996年製作の映画)
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『バビロン』(2022)で思い出したので、以前にブログに書いたものを貼っておきますね。

https://hgkmsn.hatenablog.com/entry/2021/06/05/155137

以下、引用(2021.6.5)

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マルコ・フェッレーリの遺作『Nitrato d’argento』(1996)は、初期の映画がスキャンダラスであったころまにまで遡る。たとえば『M・アーウィンとJ・C・ライスの接吻』(1896)の上映シーン。世界で最初の接吻シーンと言われるこの作品が上映されるサロンのシーンでは、子供を連れて立ち去る母親がいるかと思えば、うっとり見つめる人々もいるのだが、誰もがそれぞれにショックを受けながら、その雰囲気を共有するところが描かれるのだ。

 そんな映画のタイトル「Nitrato d'argento」とはフィルムの感光剤として使用される「硝酸銀」のこと。なるほど、この化学物質が死者たちの姿をフィルムに焼き付けてきたのであり、ぼくらが見ているムーヴィング・ピクチャーとは、幾重にも重なりながら焼き付けられた陰を次々と投影して、いかにも生きているかのように見せるトリックにすぎない。このトリックが行われた場所がチネマというわけなのだ。

 フェッレーリはこの作品を当初「Casa dei poveri」(貧者の家)と呼んでいたらしい。そこには、チネマが貧しい人々の娯楽の場であったという含意がある。アメリカでは移民たちが英語を覚えたのはニッケルオデオンと呼ばれる安普請の映画館だった。イタリアでも、サイレントの時代には誰かが声を出して字幕を読んでくれた。そのころのスクリーンは、読むことを学ぶ黒板でもあったのだ。

 学ぶだけではない。歌ったり笑ったり、食べたり飲んだり、彼女とキスしたり、男と女が出会ったり、あんなことやこんなことまでできちゃう。外ではできないことも、映画館でならできてしまう。ホームレスでも夜露をしのげる。誰だってチネマに行けば人生を生きることできたのだ。金持ちも貧しい者も、スクリーンの前では誰もが等しく同じ観客。まさにチネマはデモクラシーの学校でもあった。

 ところがそんな「貧者の家」は、時代が進むにつれて様変わりしてゆくと、やがてテレビの到来とともに、かつてのチネマが失われてしまう。チネマは死んだ。そう繰り返したというフェッレーリ。彼が描くチネマは、もはやチネマが死んだ時代にあるぼくらにとっての、かつて遠い昔の、貧かったぼくらの家であった場所のことであり、そこに描かれる人々はもはや失われた場所の回想のなかだけに生きる影にほかならない。

 まるでレオパルデイではないか。「現在というやつは、たとえどんなものであれ、詩的ではあり得ない。詩的なものはいつだって遠くの、どこにあるのかわからない、あいまいな場所のなかにある」。そんなレオパルディ的な意味において、マルコ・フェッレーリの描くチネマはじつに詩的な場所の追想となる。僕らの前にその朧げな影を表したものは死者なのだ。その姿に心を打たれるのは、かつてのチネマがすでに死んでしまった時代を生きているからにほかならない。

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