くまちゃん

ハケンアニメ!のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

ハケンアニメ!(2022年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

敵もなければ奇跡も起きない。
情熱大陸の如くアニメ作家の仕事模様が永遠に映し出されるのみである。
それなのに不思議と見れてしまうのは彼らが紛れもない職人だからだろう。
確かな技術をもったスペシャリストに人は憧れる。職人は魅力的で格好いいのだ。

新人監督斎藤瞳と若き巨匠王子千晴、それぞれの葛藤と対比、仕事への熱量と誇り、そして責任。
ジャパニメーションと呼称される通り、日本を代表し象徴する文化を背負う者、継承する者たちの熱いドラマがそこにあった。

ただ、監督を含め、アニメ作家たちの描写には些か疑問が残る。

アニメーターたちは日常的に好きな作品を引用する。
「悲しいけどこれ戦争なのよね」「心を開かないとエヴァは動かないぞ」「エンドレスエイト」etc…。
職人のイメージを覆す非常に気持ちの悪い現場。
極めつけは有科香屋子と斎藤瞳の銭湯でのやりとり。
有科のスローで拳を突き上げるモーションに対し斎藤瞳が間髪を入れず「出崎演出」と答える。
斎藤瞳はもともとアニメに興味はなかった。大人になりたまたま王子千晴の作品と出会い業界に飛び込んだのだ。
それなのに出崎演出を知っているのは不自然ではないか?アニメーターの下積みとして教わるのだろうか?
インプットしてもある程度使用頻度が高くなければ咄嗟にアウトプットはできないのではないか?

アニメ監督、富野由悠季は、アニメ業界志望の若者に対し、文芸、演劇、物語を見ずに映画やアニメは作れないと語った。アニメ以外のことにも奮闘し、修身・道徳、格言を学ぶべきだと。
無から有は生まれず、クリエイティブには必ず等価交換の原則が付随する。
つまり、自身の知識、経験、常識、思想等をフィクションに落とし込み、新たなる世界を再構築することで観客や視聴者へ届ける。現実を知らずして虚構は作り得ない。

実際、出崎統、押井守、庵野秀明、宮崎駿、高畑勲、湯浅政明、新房昭之など、強い個性と思想、方向性を持つ稀代のアニメ作家たちは映画や文学、哲学、もしくはアニメ以外のサブカルチャーなどを好み、演出面に関してはヒラメキと合理性が融和し思想を具現化できる彼らのセンスにほかならない。

王子千晴、斎藤瞳、両者の根底に燻る強烈な煌めきは作品内に落とし込めているとは思う。
しかし両作品とも既視感に溢れ、独創性が欠如している。
「運命戦線リデルライト」は明らかに「魔法少女まどかマギカ」を意識している。またはスタイリッシュで躍動感ある映像は担当したのが大塚隆史だからだろうか、「プリキュア」に近いものがある。
辻村深月は幾原邦彦作品からの影響が強いと語る。「輪るピングドラム」の生存戦略のように心に迫るセリフ。葛藤を抱えた王子千晴ならキャラクターに何を言わせたいのか。それがアニメのラストのセリフに繋がる。
ただ幾原邦彦の「ウテナ」や「ピングドラム」は哲学的なテーマ性が強くそれはセリフにも表れる。
「リデル」の場合はセリフで心情を語り過ぎな感じが否めない。

「サウンドバック 奏の石」は富野由悠季や庵野秀明風のニュアンスを感じられるが一番近いのは「ぼくらの」かもしれない。
辻村深月は「勇者シリーズ」や「エルドランシリーズ」を大人になって見返すような新たな着眼であると語っている。
もしや音を失う世界で、ロボットが発話するのか?

作風に対し人が目にする可能性が高い時間であるほどスポンサーは神経質になるだろう。製作委員会方式なら尚更だ。

土日の夕方のアニメ作品で主人公または主要キャラの死亡が描かれるのはザラである。珍しくもなければ筋が通れば問題もない。この部分に対する周囲の過剰な反応はデフォルメされすぎており、王子千晴の才能の一端を感じさせる部分ではない。

「土曜日の夕方は子供が観る」

本当にそうだろうか?
かつて、土曜日は半日通学であった。
インターネットも携帯電話も今ほど普及していなかった時代である。
それなら学校から帰ってきた子供たちが夕方のTV番組観たさにブラウン管へ齧り付く画も想像できよう。
しかし今は令和であり、子供は携帯端末やインターネットを使いこなし、コンテンツは飽和状態。情報過多で済ませられる状態ですらなくなっている。
何より土日は休日であり、その時間にTVの前に座ってる必然性はもはや皆無。
バラエティ番組よりYou Tubeを閲覧する昨今の子供たちをターゲットに、本気で視聴率を狙わなければいけないのか?
子供の目をTVに向けさせる。そういう戦略や指針があってもいいだろう。
だがそれなら「リデル」も「サバク」も力不足である事は火を見るよりも明らかだ。
また、「サバク」を象徴するセリフと掛けたコラボ商品や、監督のビジュアルに着目しインタビュー記事とグラビアを雑誌掲載させるあたりはリアリティがある一方、今どきのアニメーションで話題と視聴者を稼ぎたいのならサブスク配信を視野に入れることも可能ではないのか?
行代ほどのプロデューサーならば、その選択肢が思い当たらなかったとは考えづらい。
サブスクがメジャーではない時代なのか?
それもないだろう。斎藤瞳は次回作として配信アニメ制作に勧誘されているからだ。新人監督という位置づけながら王子千晴に負けず劣らずな作品を作りチームをまとめあげた斎藤瞳の手腕は小規模なネット配信作品にはおさまらない。

売れるアニメとはなにか?
視聴率、閲覧数、円盤やグッズ売上、SNSを含む話題性、舞台化での集客力や劇場版での興行成績。
おそらく全てトータル的ではあるが、対立構造を簡素にわかりやすくするため視聴率にこだわったのだろう。

両作品への評価は好意的、もしくは「サバク」へのネガティブな意見は「リデル」もしくは王子千晴と比較してのものばかり。他の類似作品との比較意見があっても良さそうだが。

声優群野葵はアイドル的人気から行代により「サバク」の主人公へと抜擢される。役者としては実力不足。明らかな客寄せパンダ。
いやキャスト陣を見る限り梶裕貴と潘めぐみがいれば十分だと思うが。
群野がスタジオのロビーで動画を見ながら一人で練習している場面があるが、通常そういうのは自宅で人知れず行うものではないのか?
斎藤瞳が目撃し、監督とキャストの信頼が結ばれる重要な場面の一つだが、冷静に見れば自分頑張ってますよアピールに感じる。
さらに声質と演技はやはり「サバク」には合っていない。どちらかといえば「リデル」向き。

今作を制作する上で、原作者辻村深月も企画段階から携わりその意見を制作側も重宝してきた。
2作品の劇中アニメも彼女が全話分のプロットを作成したそうだ。
細かい所で気になる部分は多いが非常に楽しめる秀作。お仕事ムービーとして今作に匹敵する作品はしばらく出てこないだろう。
また、アニメーターの労働環境は度々議論の的になる。今作では熱意でごまかしてはいるが、過酷過ぎる労働環境という問題提起を見過ごしてはならない。
アニメーターだけではない。
好きだか劣悪な労働状態にある全ての者は、仕事に対するやりがいや熱意を人質に取られている。それを象徴するのが机に佇む王子千晴の短くなった鉛筆。
魂と命を芯とともに削っている。
それだけは観客全てに刺さる。
くまちゃん

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