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百花のkuuのレビュー・感想・評価

百花(2022年製作の映画)
3.8
『百花』
映倫区分 G.
製作年 2022年。上映時間 104分。
菅田将暉と原田美枝子が親子役で主演を務めたヒューマンドラマ。
プロデューサー、脚本家、小説家として数々の作品を手がけてきた川村元気が2019年に発表した同名小説を、自ら長編初メガホンをとって映画化した。
出産を控える泉の妻を長澤まさみ、事件と深い関わりを持つ男を永瀬正敏が演じる。

レコード会社に勤める青年・葛西泉と、ピアノ教室を営む母・百合子。
過去に百合子が起こしたある事件により、親子の間には埋まらない溝があった。
ある日、百合子が認知症を発症する。
記憶が失われていくスピードは徐々に加速し、泉の妻・香織の名前さえも分からなくなってしまう。
それでも泉は、これまでの親子の時間を取り戻すかのように献身的に母を支え続ける。
そんなある日、泉は百合子の部屋で1冊のノートを発見する。
そこには、泉が決して忘れることのできない事件の真相がつづられていた。

今作品は、監督の語り口のゲーム性から『二重性』を思った。
母ちゃんは何かを覚えていたいと欲して、息子は何かを忘れたいと欲す。
また、息子は何か覚えていたいと欲して、母ちゃんは何か忘れたいと欲す。
この矛盾したゲームは、素晴らしいシーンをいくつも生み出していました。
川村元気って人は、魅力的でないものには手を出さない嗅覚でももってるんかな。
余談ながら、新海誠監督『君の名は。』で出てくる『口噛み酒』について川村のコメントに
『男の子って小学生ぐらいのときに好きな女の子の縦笛を盗んで舐めるみたいな子がいたでしょ?(中略)僕もやってないですけど、その気持ちはちょっと分かるような気はしますよね(わかるかぃっ小生の独り言)。唾液のようなものって、特に10代ぐらいの男の子たちにとって1つのフェチ要素というか、たまらない部分なんじゃないかなと思って(思わへん思わへん)』
多分、川村は女子の縦笛を舐める行為をやってるなと!キモって記事を読んだとき思った。
この様に彼には好きなアノ子の縦笛はきっと魅力的やったんやと思う(勝手に既成事実をつくってますが)。
その魅力を感じたものに貪欲なまでに探求する心がある人なんやなぁと感じた。
また、今作品の美学には、藤井道人監督のお抱え撮影監督である今村圭佑が一役買ってて、浅い焦点の延長線上のトラッキングショットや、加えることの、電子音楽家・綱守将平のスコアとほとんど気づかないほど調和した巧みなサウンドデザインによって、瞬時に魅惑的なものになってました。
明らかに認知症の初期段階にあるピアノ教師、百合子(原田美枝子)が登場し、不安を煽りながらも形式的に工夫されたオープニング・シーン。
(ピアニストやピアノ講師は比較的に小生の回りに多いし、ついLINEでこの作品のこと伝えてもた。)
新年を迎えようとした息子の泉(菅田将暉)は、百合子がふらふらと近所の公園で座り込んでいるのを発見する。
しかし、泉は特に気にした様子もない。
母親に手の込んだ夕食を用意させておきながら、少ししか食べずに帰ってしまう。
二人の関係は、映画ではなかなか明かされない。幼少期のトラウマのせいで、少々複雑であることがわかる。
百合子がアルツハイマー病と診断され、介護施設に移されたとき、和解の可能性は遠のいた。
しかし、泉は母の家の散乱した中から古い日記を発見し、2人の関係を悪化させた出来事について知ることになる。
原田は化粧を施し、若き日の百合子を演じる。
このフラッシュバックは、イタリアの作家エレナ・フェランテ(小説『ナポリの物語』で有名かな、ドラマ化されてます) の"L'amore molesto"("Troubling Love "英語版)って小説(マリオ・マルトーネ監督作品『"Troubling Love"』(1995年)として長編映画化されてますが日本では手に入りにくいかなフィルマークスにも記載欄がない)を彷彿させるような、その認知症のストーリーよりもさらに厄介な領域に踏み込んだものと云える。
泉の妊娠中の妻・香織に長澤まさみ、百合子の過去の人物に永瀬正敏と、豪華なキャストが揃っているが、菅田と原田にほとんど物語のウェイトを占め望むよりも上に演じてると素人目にも感じました。 
原田はほんま難しい役柄を見事に演じてたし、菅田は売れるだけあって、繊細さと抑制の効いた演技で、この役柄には少し若すぎるということを全く感じさせない。
川村監督は、特に終盤の展開に重きを置いている。
特に終盤のシーンでは、印象的な幼少期の思い出をシーンに織り交ぜ、最初は印象的やったけど、やがて繰り返しになるのは否めない。
正直なとこ、この監督は自分が影響を受けたものを非常に巧みに合成しているように感じられる『悪人』や『怒り』で共演した李相日(イ・サンイル)は、明らかにその試金石であり、この映画の最も効果的な手法の1つは、フロリアン・ツェラーの『ファーザー』2020年から引用したものと感じられなくはない。
しかし、母を子を描く系には十代からほとんど会わなくなり死に目にも会わなかった小生の個人的な想いから惹かれてしまうのは確かだし、その贔屓目と云うか、母への想いからかとても感動を覚えた。
共に過ごした時期の家族は、他の誰よりも近い存在だけど、知らないことも沢山ある。
私事ですが、ガキのある時頃、母は年の近いオデブの兄と小生の手を引き新幹線を乗るか乗らないかを逡巡し、結局乗らず、地下街でカツ丼を小生たちに食わせ、また何事も無かったように馬車馬のような日常に戻った母のあの迷いは何やったんか今はもう知るよしもない。 
あの退引きならない表情は拠ん所ない事情、そして秘密が母にあったんだろうが、せめて日記でも残してくれていたならと思うと、今作品との相乗効果か泪は止まらなかった。
今作品は、偉大な映画というよりは、非常に優れた映画であるのは個人的には思います。
しかし、川村元気がすぐにそこに到達することを示唆するものはすべてあるかな。
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