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VORTEX ヴォルテックスのumisodachiのレビュー・感想・評価

VORTEX ヴォルテックス(2021年製作の映画)
4.7


ギャスパー・ノエ監督最新作。

心臓に持病を抱える夫と、認知症の症状が出ている妻。ひとり息子は薬物の問題と小さな息子を抱えていて、離れて暮らしている。妻の症状は日に日に悪化し、夫にもコントロールできない状態になるが……。

画面を分割し、片側に夫、もう片側に妻の様子を映し出す(ときどき息子を映し出すことも)。コの字型の変わった間取りの夫婦のアパルトマンには本などの物が溢れているが、2人は基本的にそこから出ることはない。片方をずっと追い続けるカメラは、残酷なまでに妻の病気の進行を克明に捉えていく。

正直、最初は少し退屈だと思った。しかし、彼らの過去の職業や息子との関係、息子が置かれている状況などが少しずつ明らかになっていくに連れ、ギャスパー・ノエらしい不穏な緊張感がスクリーンを満たしていく。やっぱりノエじゃん。悪夢じゃん。

息子がいくら勧めても、夫はホームに入ったりデイケアに頼ることを拒否する。ものに溢れた部屋で、心臓病を抱えていて家事もそんなに得意ではなさそうな夫が認知症の妻を介護をするのは無理なわけだし、どうして拒否するのか?客観的に見ている側からは理解できない。しかし、2人(+1人)を描いていると思っていた本作が、実はその背景にあるアパルトマン自体を描いていたのだと気づいたとき、ハッとした。

「家は、生きている人が住むところだ」というセリフと共に、それまでずっと視界にあったアパルトマンの様子が鮮やかに甦ってきた。そして、夫婦の過去を想像した。

あまり治安のよろしくない地域にある古いアパルトマン。間取りはヘンテコで複雑なコの字型。近所の人はもちろん皆んな顔見知りだ。きっと、この夫婦にとっては若い頃に遂に手に入れた城だったはずだ。精神科医だったという妻は、かなりの努力をしたのだろう。若い頃から、彼女が経済的にも夫を支えてきた可能性が高いが、部屋の中の夥しい数の本のほとんどは、きっと夫のものなのだろう。

孫を見ていてと言われたのに、書斎に籠って不倫相手に電話してしまう夫は(しかも不倫相手のことは息子にも知られている)、少年みたいに魅力的でありながらも、偏屈で不器用な人物なのだろう。きっと、妻は「この人には自分がいなきゃ」と思っていたことだろう。そんな妻に、夫も甘えていたのだろう。

すぐに散らかす夫に呆れつつ、妻は整理をしてあげていたのだろう。愛しんで育てた息子は大きな問題を抱えてしまい、夫婦を悩ませただろう。それでもなんとか家庭を持って孫を必死で育てている息子を心配しつつ、ようやく夫婦は穏やかな日々を過ごしていたのだろう。

でも、自分本位な夫を許せない気持ちも、妻はずっと持ち続けていたのだろう。夫は、どこかで妻を甘く見ていたのだろう。自分の方が教養があり上質な人間だと、どこかで感じていたのだろう。妻は、医学的な知識に関するプライドは決して捨てず、夫への薬の処方だけは誰にも受け渡さないとこだわっていたのだろう。夫を根底の部分で掌握し続けるために。

あのアパルトマンは、夫婦の人生そのものだったのだ。彼らが生きた証であり、彼らの戦場であり、あそこに2人でいることが、彼らにとっては何よりも重要だったのだと、脳内に溢れ出るイメージになす術もないまま、私は悟った。だから、夫はアパルトマンを出ることも、アパルトマンに家族以外の者を侵入させることも拒否したのだ。なんでそんなに簡単なことがわからなかったのか。簡単に「ホームに行け」と言われたところで、そんなに簡単に割り切れるわけがないではないか。あの部屋を棄てるなんて、考えられるわけがないではないか。

この悟りを裏付けるかのようなラスタシーンを呆然と見つめながら、私はギャスパー・ノエに今回も感服した。こんなにも少ない説明で、こんなにも一見すると退屈な映像で、こんなにも多くのことを語り得るとは。最後に私の脳裏に残ったのは、コの字型のアパルトマンの向かい合った窓から互いを見つめ合い対峙する、冒頭の夫婦の姿だった。

最後に。息子の描写のひとつ、ほんの数分(数十秒)のシーンに、底意地が悪すぎてギョッとしてしまうものがあった。やっぱりギャスパー・ノエはギャスパー・ノエだよねえぇ!!そして、薬は怖いね。

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