くまちゃん

屋根裏のラジャーのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

屋根裏のラジャー(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

監督を務めた百瀬義行はかつて高畑勲の懐刀として活躍した半世紀のキャリアを誇る歴戦の猛者である。作画監督は小西賢一、背景美術はでほぎゃらりーと今作には「ジブリ」ブランドから分岐した高い技術力と創造力が結集している。
プロデューサー西村義明はジブリから離脱する際ブランドではなく高畑勲、宮崎駿が主導となって築き上げてきた映画製作の志を継承していきたいと語った。そして高畑勲は生前スタジオポノックは長編アニメーションの一つの牙城となる可能性を述べていた。今作は「メアリと魔女の花」「小さな英雄-カニとタマゴと透明人間-」を経て、ジブリとの差別化、ポノックブランドの確立、セルとデジタルを混在させた新たなアニメーション体験の提供といった微調整を重ねに重ね制作スタジオとして改めてスタートラインに立てた感じがある。

今作はA・F・ハロルドによる児童文学を原作としている。ハロルドは幼少時、仕事帰りの父親が迎えに来るまで1人図書館で待っていたそうだ。その時間は孤独を忘れるほど読書に没頭していた。つまり今作にはハロルド自身が強く投影されている。

登場する掲示板やチラシなどはほぼ全て英語で書かれている。作者はイギリス人なため恐らく作品世界もイギリスが舞台なのだろう。しかし、一部重要なポイントや人名に限って日本語で記されており、観客の没入を妨害してくる。海外の長編アニメの日本語吹替版でも同様の演出が見られるが、英語で記載し、下に字幕をつけるような演出のほうが世界観を崩すことがないのではないか。

アマンダは一見恵まれているように見える。父は故人であるものの、学校での人間関係は良好で母からも愛され本人も至って明るい。だが父の死というのは名状しがたい絶望の翳りを彼女の心へ落とした。孤独とは1人の時は感じない。他者と関わる中で顕著に増幅されるものなのだ。ジュリアの愚痴を聞きジョンを気遣い母に叱られる。そんな何気ない日常の中で孤独が深まりラジャーが生まれた。
消えない事、守ること、泣かないこと。
空想の友との間に交わされた鉄の掟。だがこれはアマンダが自分の心を守るために課した小さな鎧。大好きな父を忘れないため、大切な母に心配させないため。想像力豊かな少女の謙虚な優しさ。ラジャーがアマンダに質問すると必ず答えが返ってきた。答えのない質問に対してはアマンダ自身が答えを作ったそうだ。ジンザンは言った。ラジャーがアマンダの答えなのだと。イマジナリーは否定的概念を持たない存在。アマンダが何を考え何を発言しどんなことをしようと必ず肯定してくれる。空虚な心を満たす答えをアマンダは模索し続けた。ラジャーはアマンダをすべて受け入れる。かつて父がそうであったように。
母リジーは決してアマンダを信じていないわけではない。アマンダの空想好きを知っていた。空想の友人の存在も認めていた。ただそれがアマンダにとって現実と地続きであることは理解していない。味方であることと理解者であることはまるで異なる。

ミスターバンティングはイマジナリーを喰らうことで寿命を延ばし生きながらえてきた。エミリーをはじめとしたイマジナリー達はミスターバンティングを都市伝説だと認識している。なぜなら会ったことがないから。バンティングと接触したものは無尽の口内へ吸い込まれてしまう。如何にしてミスターバンティングが空想の存在を食すという特異な能力の発現に至ったのかはわからない。が、彼もまたもとは孤独な少年だったのだろう。
バンティングは黒髪の少女を付き従えていた。彼女は常に無口で無表情。眼窩に落ちくぼんだような陰が指し不気味さを強調している。病室でバンティングがラジャーを飲み込もうとした際、一瞬だけ、その虚無的な瞳に光が宿った。そしてラジャーを庇いバンティングに喰われた。バンティングの孤独はイマジナリーを作った。大抵の子供は成長につれてイマジナリーを忘却していく。バンティングは孤独が続くことを恐れ、大人になることを拒絶した。その少女はバンティングにとって唯一無二の友人だったのだろう。忘れてしまえば、消えてしまえば自分は独りになってしまう。その恐怖がバンティングを怪物へと変えてしまった。イマジナリーは必ず肯定する。だがその少女は最後にバンティングの行動を否定したのだ。人間の死や忘却によって行き場を失ったイマジナリー達はジンザンに導かれ創造の宝庫たる図書館へ案内される。そこで初めて自我が形成されていく。だがバンティングとその少女の場合、死や忘却ではなく道徳や倫理によって自我が芽生えたのだ。彼女はイマジナリー狩りに固執するバンティングに対し嫉妬や寂しさを覚えたのかもしれない。今一度自分の方へ振り向いてほしかったのかもしれない。もし仮にバンティングが道を誤らなければその少女と現実での友人になれた可能性がある。
それは創造が実体を持つ神の領域。ミスターバンティングとは人間を凌駕し、空想と現実を超越しながら神になりそこねた堕天使の事なのかもしれなかった。
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