keith中村

屋根裏のラジャーのkeith中村のレビュー・感想・評価

屋根裏のラジャー(2023年製作の映画)
5.0
 少し舐めた気持ちで観に行ったら、傑作でした。舐めててすみません。
 
 私は「どんな映画が好き?」と訊かれると「映画が好き」と答えるようにしている。
 つまりは全方位的にどんな映画も好きだから、ジャンルを限定させるような質問には答えられないわけなのさ。
 ただ、よく考えるとこれは私が現実世界でまあまあ幸せな人生を送ってきたからに他ならないわけで、たとえばトラウマ級の体験がある人だったら、そのトラウマを想起させるような映画は絶対無理なわけじゃないですか。たとえば子供を失った人は、そういう映画は観られないし見たくないだろうしね。あるいは、癌の告知を受けた人は黒澤の「生きる」なんて絶対観たくないわね。だから、私が全方位的に映画を観られるし、全方位的に映画を好きなのは、そこそこ幸せに生きてこられた結果なので、それはそれはとても有難いと思ってる。
 
 何を言いたいかというと、本作は傑作ではあるんだけれど、ある種の幼年時代を過ごしてきた人には相当つらい映画でもあるということ。
 
 ところで、イマジナリーフレンドって、日本の子供はほとんど作らないですよね。
 それは日本の子供は一人で寝るという習慣がないから。本作はイギリスの児童文学が原作ですが、イギリスだったりアメリカだったり、まあほかの西欧文化圏でもいいんだけど、あっちでは子供は親と一緒に寝ないんですよね。
 幼い子供が一人で寝るのはそりゃ怖いですよ。だってあなた、クローゼットにモンスターがいたりするんだもの。まあ、サリーとマイクみたいな楽しい奴らもいるかも知らんけど、普通はもっと怖い。
 だから、欧米の彼ら彼女らはイマジナリーフレンドを作る。想像する。たとえ想像上の友達でも、二人でいると怖くないもんね。
 
 イマジナリーフレンドとは、子供が恐怖だったり辛苦だったりから逃れるために産み出すもの。
 一人で寝るのが怖い以外には、たとえば悪戯をして叱られたときに、「ぼくじゃないよ。ジョンがやったんだよ」みたいに逃避する時にも産み出す。
 もちろん、もっと深刻な状況でも子供たちはイマジナリーを産みだす。本作で言うと、たとえばオッドアイの猫さんであるジンザン。彼の友達(というのか持ち主というのか、生みの親というのか)は、親による暴力なのか、相当に深刻な幼年期を過ごしてきたことがジンザンの発言から想像できる。
 これが嵩じて、もっと過酷な状況になるといわゆるイマジナリーフレンドを通り越して子供自身が多重人格になるんですよね。それくらいにつらい人生もある。
 ジンザンの「寝ないで見張ってるよ。だから安心しておやすみ」みたいなセリフには、今日の豊洲は私以外に観客が一人しかいないガラガラ状態だったこともあり、我慢せずハンカチを取り出して嗚咽してしまいました。
 
 ね?
 幸せな、或いは穏やかな幼年期・少年期を過ごしてきた俺でも、そうなっちゃんだもの。つらい現実を味わった人には多分この映画は無理なんだと思う。
 ただ、それくらいに「逃げない物語」であることが本作のすごいところ。
 想像の世界を描いているのに、いや、「描いてるからこそ」なのか、現実の残酷さ・冷徹さを突きつけてくる。
 
 本作は、「くまのプーさん」や「トイ・ストーリー3」や、最近では「バービー」に近い構造を持ってるんだけれど、オモチャに仮借できる人格・オモチャに憑依させる人格はまだマシなんですよね。「なんにもないところ」に人格を形成するレベルが本作で描かれるイマジナリーフレンド。
 
 本作でもうひとつ攻めてると思ったのが、ヴィランによる「想像は現実に勝てない」というセリフ。
 俺、ぞわっ! って鳥肌たったもの。
「え?! それ、言う?! 言っちゃうの?」
 俺が総毛だったってのは、まさか面と向かって「映画」からそれを言われると思ってなかったから。
 「すげえ!」ってなって鳥肌たったんじゃなくって、そんな身も蓋もない、取り付く島もないセリフを、映画を観てる最中に聴くとは思わなかったから。そんな残酷なセリフを予期してなかったわ。
 映画って、逃避じゃないですか。もっとも、はじめのほうに書いたように、私は現実でもまずまず幸せに生きてる。
 でも、それでも「現実からの逃避」のために通う場所が映画館なんですよね。そこが「現実」よりもいい場所だと思ってるから。
 でも、本作はせっかく劇場に来てるのに、「想像は現実に勝てない」って言いきっちゃう。
 「こっっっっわ!」って思った。
 
 ああ。
 やっぱ、この映画は人を選ぶんだろうなあ。
 おれ、きつかったけど、「あ~、きつかった」レベルで本作を鑑賞できる人生で良かったわ。
 
 序盤にアマンダとラジャーが屋根裏でする「三つの誓い」が、途中で位相反転するじゃん? ママさんが雨傘の落書きを見るところね。
 あれ、本当のシングルマザーの人とか、多分耐えられないんじゃないですか。
 ほんっとに、本作はキツいわ。
 
 でもね。
 本作の素晴らしいところは、中盤で「想像は現実に勝てない」って言って映画ファン・物語ファンを立ち上がれないレベルでぶちのめすんだけど、最終的には「想像は現実に勝てないかもしれないが、だがしかし、だがしかし、想像は現実を超えることはできる」ってオチに着地するところ。
 冷蔵庫~~~!(号泣)←本作を観てない人には何が何だか。
 
 私のように全方位的に苦手な映画がない方には滅茶苦茶おススメします。
 つらい人が一定数いるのも事実なんだろうけど……。
 
 あと本作の良かったところとしては、イギリス文学が原作ということが理由なんだと思うけど、いい意味で「英語直訳」なセリフ回しで貫かれているところ。
 リジー・ママが序盤で「ねえ、アマンダ・シャフルアップ!」って「子供を叱るときにフルネームで呼ぶ」みたいな、西欧文化に根差した言い回しを直訳してるところももちろんそうだけど、全体的に「英語直訳」なセリフが多くて、そこも翻訳小説を読んでるような気持ちになりました。(画面に映る文字が英語にすべきか、日本語にすべきか困惑して腐心してるところも好意的に観られました)
 
 私は通勤だったり交通機関での移動中は、だいたいポッドキャストでラジオを聴いてるんです。
 で、今日は仕事終わって、いったん家に帰ってきてから、豊洲のシネコンの最終回に行ったんだけど、到着するまで聴いてたのがTBS「こねくと」の昨日放送分、小原さんがアニメを紹介してるコーナーだったのね。
 そこで、たまたま本作を紹介してたのさ。
 私は映画ファンの皆さんと同じく「極力事前情報は入れないで観る」スタンスなんだけど、本作は冒頭に書いたように、舐めてたんで、「まあ、少々ネタバレしてもいいわさ!」くらいで、聴いてた。
 小原さん、おススメしてるようで、本作もトットちゃんもディズニー100周年のあれも、まあまあディスってました。
 だから、逆に「これは好意的に観なければ」と思って観たってこともあるんだけれど、本作は最高でしたね。
 それは私が本作をつらいと感じない程度に幸せな人生を送ってきたこともあるんだけどね。
 
 スタジオポノック、頑張ってほしいな。
 
 と言いながら、今日帰りに調べたら本作の監督の百瀬義行さんで私が唯一観てた過去作は「二ノ国」でした。
 あ~、俺、ダメだわ。
 あの映画、おれ、Filmarksにも投稿したけど、そうとうディスった。
 「おもしろおかしく」茶化してたわ。
 百瀬監督、あの時はごめんなさい。
 本作はマジで年間ベスト級でした。
 これほど「現実に向き合った」映画もないと思う。
 
 だから、百瀬監督、許してください。
 百瀬、こっちを向いて!←それはまた別の映画だろっ!