2回目の鑑賞
光が見えるというのも辛い。
東雲が光らないことが気になったり
人と接することが難しくなる
東雲が光るきっかけは宿木の話
「定期も何もわかるじゃない
あーわたしこの人好きだわって思ったらそれでしょ、それが濃いでしょ」
認識して初めて成り立つ!
つまり私が恋だと思えばそれが恋なのですね
北代
自分の気持ちが否定されているような
◎この作品を拡大解釈していけばLGBTQの苦しみにも
わたしが主人公の物語なら
略奪という恋は純愛になりうるのです
で、キタシロが映る
オオス
この子も光るっていうのは新しい発見
オオスの環境(女子校・女子寮)でも、周りの女の子が光っている。これってすごくいいな。付き合いたいとかでもない、憧れのような気持ち。それでも光る。
◎「恋って人それぞれ違うと思いませんか?うちrの料にはアイドルとか宝塚の人に本気で恋してる人もいますよ。実際その子たちは光ってますし」
”恋はうれしくて楽しいもの”
だから恋する乙女はキラキラ光る
いままでこんな種類の鳥肌が立ったことがなかった。
北代がオオスに「いままで見たなかで誰よりも北代さんが一番キレイで光ってて、おふたりともすっごくお似合いだと思いました」と言われたシーン
無音
「光っているのか?」
光っているのがさいじょうにバレた、ちゃんと光っててもうれしい
このシーンの北代の光はキレイでめっちゃ乙女だ。すごい!
”光らなくても、ちゃんと好きだった。ずっと”
美観地区で吐く東雲「すいません、出ませんでした」はおもしろい
”恋とは本能と学習からなる反応”
矛盾するものを併せ持ったものだからこそ、恋は複雑かつ広義。曖昧に解釈されてきたのかもしれませんね
さいじょうさんは母性にも近い学習の光を認識できないのではないでしょうか
北代さんの見えない光は、母性のように深く優しいもの
「これが私の恋です。それでもあなたが好きなのです」と目を見て、しっかりと伝える東雲
◎最後が宿木である理由
この映画を見るわたしたちに何かを語りかけている
全員未熟でわかりやすい
でも、どんな大人も、俺含めて、客観的にみたらみなわかりやすいのではないか
でみみんな精一杯考えていて、真面目
こういう姿勢が大切なんだよ
悪人が出てこないこの世界。
宿木は悪人になりうるキャラクターだけど、悪人になっていない。
その意味。
23.12.13
自宅