まや

生れてはみたけれどのまやのネタバレレビュー・内容・結末

生れてはみたけれど(1932年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

2024年1本目の映画。

はじめてサイレント映画を見た。音がない制限された状況で映画として成立していて驚いた。小津監督の初期作品とのことだが、すでに社会の切り取りやそれをどう映すかということが明確な感じがした。

子供たちの表情がとても豊かで動きが大きく観ていて楽しいし、これで物語を動かしているのだと思った。

大人の世界を子どもの視点から描く。子供たちは自分たちの独自のルールで関係を形成する。今回で言うと喧嘩の強さで立ち位置が決まる。とてもわかりやすい。こう言うわかりやすい尺度でいるからか、そこから見ると大人の地位やお金によって立場が変わることは理解できないし、確かに大人の作り出す社会構造って自分も納得行っていないからこの感覚はわかる。(自分は子供なだなと思うが、これを納得しつつどう折り合いをつけていくかが大人になることなのだと思った)

だけど、自分が子どもの時って親を含めて大人って偉大というか、自分達とはまるで違う絶対的な存在で、絶対的な正しさを持っている感覚だったことを思い出したが、大人になった今、映画を観ていて決してそうではなく、子どもの延長線上にいるものだと強く感じた。大学生のときや今でも思うが、自分自身においていつから大人になるのだろうという気持ちが心のどこかにずっとあって(こう言うのが幼いのだと恥ずかしい気持ちはあるが)それをなんとなく再度強く思った。大人の感覚に染まっていくことが大人なのかと思うとそれがわかるようになってしまってきていることに悲しさが募る。そんなことをぼんやりと思った。

小津監督のローアングルや電車を多用すること、そのほか子どもたちや社会に対する眼差し、美しい構図の家や風景のカット等はやはり健在でとても面白く観られた。(途中うとうとしてしまったところがあるのでまた見たい)
まや

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