デニロ

生れてはみたけれどのデニロのレビュー・感想・評価

生れてはみたけれど(1932年製作の映画)
3.5
1932年製作公開。原作ゼェームス槇。脚本伏見晁 、燻屋鯨兵衛。監督小津安二郎。

大人の社会と子どもの権力闘争を描き方ながら、如何にして子どもの現実即理想、理想即現実が転換していくのかを描いている。(多分)

誰が一番偉いのか。お父さん、という時代の最後の頃なのだろうか。

一番偉くあって欲しいお父さんが、近所に住む勤務先の専務の家に行くと変なお顔をして笑いものになっている。お父さんはそんな姿を見せながらさらにペコペコして笑われている。いたたまれなくなって、そんなお父さん見てはいられなくなって先に帰ってきてしまう。

勉強して偉くなるんだぞ、ってお父さんは言うけれど、お父さんちっとも偉くない。僕たちは近所のちびっこギャング団を実力でギャフンと言わせてボスになったのに。専務の息子だって僕たちの子分なのに。

お父さんだって好きであんなことしているわけじゃない。お前たちがご飯を食べていけるのも会社でお父さんが一所懸命にアピっているからなんだよ。分かんないよ、そんなこと。僕たちはお父さんみたいにあの家の家来なんかにならないやい。ハンガーストライキ宣言だ。

おむすびを持ったお母さんは、お前たちはたくさん勉強してお父さんよりも偉くなればいいじゃない、そう言う。ちょっと待ってよ、お母さん。こうして父親の威厳なんておむすびのように内側からぽろぽろと崩れて行くのかしら。

そろそろいいかとお父さんは兄弟に近付き、/お前は大きくなったら何になるんだ/中将/と次男が答えると、/大将にはならないのかい?/大将は兄ちゃんだから、僕はなれないの/という次男がなかなかに世知辛い。

さて、子どもたちのヒエラルキーを示すマウンティングのような動作が面白い。あんなこと当時の子どもはしていたんだろうか。指を二本立て、その指をエイっと相手に投げつけると、相手は仰向けに横たえる。当時は舗装していない道路に横たわったら洋服が汚れて大変じゃ。

神保町シアター 生誕120年・没後60年記念 フィルムでよみがえる――白と黒の小津安二郎 にて
デニロ

デニロ