そーいちろー

勝手にしやがれ 4Kレストア版のそーいちろーのレビュー・感想・評価

4.0
「不老不死で死ぬこと」という不可能性を追求することがゴダールにとって生きることであり、映画だったり、恋愛だったりの人生のすべてだったのではないだろうかと思わせてくれる作品。当然、凡人の私がゴダールの考えてることなど、少しも理解出来るわけがないのだが。本作はロッセリーニの「イタリア旅行」を観て、女と男と車さえあれば映画が撮れることに気づいたゴダールが、彼が慣れ親しんだパリの街並みを舞台に、ローマに憧れる男と現実を生きるアメリカ女性の恋愛を描いた恋愛映画であり、犯罪映画であり、そして唯一無二のアクション映画である。ラスト近くの群衆を歩くシーンなどはまさにイタリア旅行のラストを想起させ、すれ違いあいながらもどこかお互いの存在を意識せざるを得ない関係性の妙を、ある種の退屈さ、時間的感覚を持って描くのは、これ以降の全てのゴダール作品に共通する部分である。思えばジャンリュックゴダールは常に、ある意味で分かりやすい二項対立を常に作品中に対置しつつ、その二項対立を無効化する以前に、無視するといったような振る舞いを徹底する事で、どうしても捉えようのない感情だったり風景といったものを映像に残し続けてきたように思えた。これだけ単純かつ、ろくでもない映画が、なぜこれほどまでに素晴らしく、美しいんだろう。ラストの「最低だ」という言葉は、刑事という他者(それはフランス語を理解できないパトリシアとミシェルの関係の媒介者となりうる)によって「あなたは最低だと言いました」と伝えられる。ラストショットはその言葉を受けたパトリシア、あるいはジーンセバーグの顔面のズームショットを映し続けることで終わる。果たして刑事の言葉は誤解だったのか、あるいはミシェルの言葉を正確に伝えていたのか。それは全然分からないし、その言葉を受けたパトリシアの心中は、結局、画面には決して映らない。そういう、少しずつ均衡点がずれて、決して交わることなくそれぞれが独立した状態で物語が終わる、というこの結末すらも、いつまでも瑞々しい。観るたびに、当然勝手にだけど「恋する惑星のエスカレーターシーン」との関係性、とか後世の映画人への影響力等を考えさせられてしまう。愛も分かり合えないし、裏切りも信頼も表裏一体で対立図式ではない。とりあえず色々と考えさせられる一本でもあるし、シンプルに楽しい映画。
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