じろ

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのじろのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

「もしあの時に違う決断をしていたら」人生において誰しもが思ったであろう問いがマルチバースによって実現される。マルチバースとは量子力学の概念で、もし二つの異なる決断、単純な例で言えば今私が左に進むか右に進むかによって世界線が分岐していくという考え方である。この映画は国税庁の追及を受けて破産しかけのコインランドリーを離婚寸前の夫と営む中国系アメリカ人の女性が主人公なのだが、彼女はかつて夫と駆け落ちしてアメリカに来た経験があったり、歌手になる夢があったりする。ある日国税庁に行くと別の世界線から来た夫に他のマルチバースに行く方法を教えてもらう。他の世界線に行くとその能力をコピーすることができ、カンフー俳優になった世界線、盲目の歌手になった世界線に行き、その能力を借りて全ての世界を滅ぼす巨悪と戦う。しかし世界線をジャンプしすぎて情報過多になった彼女は死んでしまう。
この情報過多な感じが現代人のおかれた状況を的確に描写していると思った。Post-truthという言葉に代表されるように、全く異なる真実があり、自分の住んでいる世界と同じ世界線とは思えないようなことが平気で起こり、それが一瞬で伝わる現代。劇中でウェイモンドが言った通り、正直どうすればいいかわからない。というのが実情である。第一部Everythingではその前提がまず描かれる。
一方第2部では、マルチバースは全く別の意味で捉えられる。マルチバースは分かり合えないことの比喩から他人に対する想像力のためのツールへと姿を変える。
結局、分かり合えないことは私たちの想像力が足りないだけなのかもしれない。自分と全く異なる人生を歩んできた他人はマルチバース的に分かり合えない。しかし、想像することはできる。この人はどんな人生を歩んできたんだろう。どんな辛いことがあったのだろう。それを想像することで分かり合えない状態から少し分かり合えるようになる。
このトゲトゲしい現代において他者への想像力の大切さをここまで上手く表現した映画はなかなかない気がする。
映画が想像力を生むためのツールとしてメタ的に扱われていたのもすごい好きだった。
じろ

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