eikotomizawa

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのeikotomizawaのレビュー・感想・評価

4.6
社会的大義はなるべくタイトにしているからか、話のデカさど返しで、いくつかの非常にパーソナルな分断にピントがちらちら当たっているこのバランス感覚の巧みさ。

21世紀になって既に形骸化しつつある、いわゆる世界を救う表象としての「男の子の国」・生活周辺を描く表象としての「女の子の国」的なメディア表象をこうやってカオスに縦断していく形、アメコミ映画で世界を救う女性ヒーローとか、そういうアプローチはもう珍しくもないけど、パーソナルに「家族を守るため」→「家族と戦う(向き合う)」→「結果として世界を救う」を描いたエンタメ映画はそんなに思いつかないかも。ここでは世界どころか多元宇宙に及ぶが・・

「家族やコミューンを守るためが、ひいては世界を救う」文脈のあらすじはそれこそセーラームーンだが、映画の構成が「男の子の国」土壌の上でここまで“生活”を密接に繋げて、うまいことまとめたのはダニエルズの巧みな脚本をはじめ、キャストやスタッフの手腕とバランス感覚。
なにより相手をぶちのめすことではなくケアのアプローチで引き受けるのもまるで現代のセーラームーンだった!つまりはメタバースに仏教の眼差しをはめたのも素晴らしい。アメコミやRRRのある種の勧善懲悪の痛快さに熱狂する楽しさももちろん理解できるけど、私はそのぶん「めんどくたって、ケアでいく!」覚悟のある作品は(かっこいいな・・・)と、かえって渋くて心が掴まれてしまう。

クィア映画として捉える人もいるだろうし、この男性主権社会で力を持ちづらい“優しさが取り柄の男”が救われる映画でもあるし、儒教的縛りがとりわけ強く関係が近くならざる得ないがんじがらめな華僑家族のソフトランディングを見出したり、世代間で価値観や感性の隔絶を覚える家族の希望であるし、いろいろな“生きづらさ“を内包する社会通念を、マルチバースの力をもって(人は、社会は、地球は、ひとつの宇宙それすらもちっぽけだと)赦していく。あらゆる点でトゥーマッチな内容や演出にしたのも、それを受容して進んでいく懐を示すためのエスプリだと思う。鑑賞中は痛快なシーンに目を奪われ、観たあとの逡巡もたのしい、良い映画だったなあ。

映画が生き物みたいになって、おせっかいを引っ掛けてきたような感覚だった。あの石エヴリンみたいに。


※かえって脅迫的になってしまっている、「自己肯定」の重要性を唱える過渡期に差し掛かった現代への示唆的な皮肉、個人的には結構好きでした。この映画の好きポイント沢山あるけど、備忘として。

※「男の子の国」「女の子の国」については斎藤美奈子「紅一点論」で言及されている。概要を確認したいかた向け↓
http://plaza.rakuten.co.jp/nostalgie/diary/200607010000/?scid=we_blg_tw01
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